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“トーキョーナイトダイブ”という曲の持つ罪について

情けない私たちは皆、KOTORIを神様だと信じてしまうから

横山優也の歌声は、KOTORIが奏でるロックサウンドは、いったい何人の若者を掬ったのだろう。
KOTORIというバンドを、私はたしか、この曲で知った。たくさんの情けない夜を余すことなくemoという芸術に変えてしまう、トーキョーナイトダイブという曲の持つ罪について書く。


その日私はPCを使って執筆をしていて、音楽もYouTubeから流していた。
私は気に入った曲を飽きるまでリピートしつづける癖があるので、新しい曲を聴く機会はシャッフル再生か、ひとに聴かせてもらったときしかない。しかもイントロ3秒で“合わない”と思うとすぐに聴く気をなくすものだから、ほんとうに新しい音楽と出会うことがない。

あのとき、イントロが気に入ったのか単に操作が億劫だったのかはわからないが、私は久しぶりに新しいバンドに出会った。


"眠れない夜に飛び込む 星みたいな光の街
飲みかけのコーヒーと 止まらない空調の音
眠れない夜に飛び込む 寂しさを抱きしめて
こんな夜に君に会えたらいいな"


なんとなしにWordを閉じる。MVのちょっとレトロな雰囲気は、いかにも流行の「エモい」というフレーズが似合いそうで、いけ好かないなと思った。はいはい最近はこういうのがウケるんだよね~と斜に構える。その一方でスキップする気にもならなかった。


"トーキョーナイトダイブ ここに君はいないのに
トーキョーナイトダイブ また夜が明けてしまった"


“君”って、ずるいフレーズだと思う。そのひとことで聴き手に強烈な自覚を与えるからだ。彼とか彼女も似たようなものだが、君は特に罪深い。だれもが、だれでも当てはめられてしまうのだもの。

想いの届かなかったひと、もう二度と会えないひと、だれかのものになってしまったひと……私たちの内側にいつまでものこって消えない“だれか”が、横山優也の歌う“君”に重なる。瞬間、この曲は聴き手のものになる。


"眠れない夜に飛び込む 思い出から逃げるように
こんな夜を何度も超えてきた"


東京のいいところは電車で泣いていても声をかけられないところだと、なにかで読んだ。私も都内に勤め始めてから何度か電車で泣いたことがある。当然、居合わせたすべてのひとは私に無関心だった。
東京は多くのひとが言う通り、あたたかい街ではない。親切にしたりしてもらったりはもちろんあるけれど、街としてはとてもドライだ。

でもそれは、みんながそれぞれかなしみを抱えているゆえだと、今ならわかる。

ヘッドフォンをしていたお兄さんも、携帯を持ったまま寝ていたお姉さんも、酔っぱらいの大学生たちも、各々の思いを抱えて電車に乗っている。東京は特に、簡単ではない気持ちの集まっている土地だと、3年通ってやっとわかった。
だから東京は、安易に私にやさしくしないのである。


"あの高いビルの向こう側には 海が見えるらしい
あの黒い空の向こう側には
トーキョーナイトダイブ ここに君はいないのに
トーキョーナイトダイブ また夜が明けてしまった"


また明けてしまった夜は、きっと若者の数だけ存在する。それを証明するように、YouTubeのコメント欄にもエピソードがあふれていた。
君がいないのに明けてしまった、いなくても乗り越えられてしまった、やっぱり君がいてほしかった、君がいないとまた思い知らされた、あの夜は、君を忘れてしまいたい、忘れられない。

トーキョーナイトダイブはたくさんの情けない夜をemoという芸術に変えてしまえるし、そうして掬われた若者たちはみんなKOTORIを神様と信じてしまう。ずるい曲だ。

うつくしく罪深いトーキョーナイトダイブという曲を、私は絶対にゆるさないし、共感しない。そうしているうちはまだ、私は私だけでいられるし、あのひとが無数の君と重なることはないと思うから。
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