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チャーリー・ワッツを偲んで。

身なりを整えて歯磨きをしてぶん殴ることこそがロックである。

8月25日の出勤の際、スマホをいじっていた。「チャーリー・ワッツ死去」。そういう文字が目に入った。その文字列の意味を読み込む暇もないまま、ニュースサイトに飛んだ。どうやら本当らしい。80歳。ジョージ・マーティンは90歳で死んだ。ポール・マッカートニーは79歳である。かれはとくに体のどこが悪いという話は聞かない。ともかく、チャーリー・ワッツが80歳で死んだ。

その日は、あまり仕事に身が入らなかった。チャーリーがいなくなったことの意味を、考えられる余裕がなかったのだ。それに加え、こういうことを書いていいのかわからないが、性的なことを考えなかった。いかがわしいことを、仕事の合間にふと思い浮かべたりするものだが、それがない。チャーリー・ワッツがいない。これからストーンズはどうなるのか、とすら考えなかった。それくらい、私にとってチャーリーは絶対の存在だった。「悪魔を憐れむ歌」のイントロのドラムス。『ベガーズ・バンケット』で最初に響く音である。あれを鳴らしているのはチャーリーのはずだ。もう何千回聴いたかわからない。

キース・リチャーズがことあるごとに、「ストーンズはチャーリーだ」と言っていたことは、みんなが覚えていると思う。それには意義を唱えない。チャーリーは、「ローリング・ストーンズ」の枠で捉えることが適切だろうか。彼はストーンズに1963年に入る前から仕事を持っていた。彼にとってストーンズは最大の収入源だろうが、彼にとってストーンズは絶対無二のものではなかったと思う。かれはジャズのファンで、ストーンズでのキャリア以前に、ジャズの人間として生きている自覚があったのでは。

ミックが独特の歌い方で叫び、キースがギターで独自のリフを響かせる。それはストーンズになくてはならないだろうが、チャーリーが均一のリズムでドラムスを叩かなければ、ストーンズはストーンズではなくなる。いちばんの近年のアルバム『ブルー&ロンサム』の「コミット・ア・クライム」のやたらとデカいドラムスは、もちろんオーバーダビング済みだろう。だがあの独特のリズムがなければ、この世にストーンズはありえない。先に引き合いに出した「悪魔を憐れむ歌」の独特のリズムは、チャーリーなしにはありえない。ガンズ・アンド・ローゼズ版の「悪魔を憐れむ歌」、悪くない出来なのだが、何かが足りない。今、パソコンをiTunesで「ブルー&ロンサム」の「フー・ドゥー・ブルース」を聴いているのだが、これをガンズが演奏していても同じだけのクオリティのブルースになるだろうか。独特の、チャーリーが演奏するドラムス。各段デカい音ではない。だが、彼なしにはストーンズはストーンズではない。私が初めてストーンズを知った「アウト・オブ・アワ・ヘッズ」、あれは殆どがミックとキースで書いたアルバムだったが、ブルースであるためには独特の、興味関心がない人が聴けば何の変哲もない均一のリズムのドラムスがないと、ポップスと化して、世の転石ファンからは見捨てられていただろう。

ガンズ版に足りないのは、いっけん、何の変哲もないが、それでいてなくてはならないドラムスが出すリズムである。ガンズの「悪魔を憐れむ歌」は、ボン・ジョヴィが演奏したとしてもあまり変わりのない、たんなるハードロックである。史上最強のライブ盤『ラヴ・ユー・ライヴ』の「悪魔」にもケネディは登場しない。だが、チャーリーが叩くドラムスがなければ、これも何の変哲もないハードロックと化して、忘れられていたと思う。チャーリー・ワッツはあくまで収入源としてストーンズのドラムスをやっていたに過ぎないかもしれない。だが、かれがどう思おうと我々ファンは、唯一無二のドラムスとしてチャーリーを認識していた。

私たちは、チャーリーがいなくとも、生きなければいけない。私自身も、今日もシフトが入っている。今、早朝になり、ようやく「これからストーンズはどうなるのか」と考えられる余裕がある。正直に書こう。ミックやキースが「続ける」覚悟を決めても、私は次のストーンズを聴くだろうが、チャーリーのいない転石には、以前ほどの熱を入れられない。チャーリーのいなくなった転石には誰が後任になるかはわからない。だが、独特の、なんの変哲もないかもしれないドラムスがいなくなれば、ストーンズは名義上ストーンズでも、もうストーンズではない。情けないことを書けば、今、スマホでマドンナの「レベル・ハート・ツアー」を聴いて、性的なことをようやく思い浮かべる余裕ができた。マドンナの曲の独特のビートで、ようやく股間に元気が出てきた(ハズカシイ)。私事だが、現在、歯の治療をしている。昨夜、いやな夢を見た。だが、これらのことを、私は自分に起きたこと、私が当事者であることを自覚すれば、もう怖いものはない。私は、チャーリー・ワッツがいなくなっても、生きられる。今まで、私は、「ストーンズなしには生きることができない」と思っていた。それはその通りだ。だが、レコードやCDをかければ、いつでもチャーリーに会えるのだ。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を聴けば、たちまちにして生きるエナジーが沸いてくる。そのビートを鳴らした最重要人物は、チャーリーである。いくらミックが叫ぼうと、キースが必殺のリフを鳴らしても、チャーリーの均一のドラムスがないと……。この譬えにピンとこない人は、レッチリのチャド・スミスのドラムスなしのレッチリがあり得るか、考えて欲しい。レッド・ツェッペリンの、ジョン・ボーナムなしのツェッペリン。リンゴ・スターなしのビートルズ。これらが想像できるだろうか。

私は、朝7時になれば出勤する。これも私事だが、最近、体調を崩したせいか、口内炎がひどかった。それも治りつつある。私は、自分の足で立って生きなければならない。十代のうつ病のどん底の自分を救ったのは、ピストルズであり、ストーンズであり、クラウト・ロックだ。それらが今、自分の目の前から、iCloudやCDラックから奪われても、生きていかねばならない。もういい年をした37歳の中年である。日々の暮らしを守り、自分の日常を送ること。マスクをして手洗いうがいをする(ワクチンは既にファイザー製を二回打った)。これらは、一見、誰でもやっていることである。だが、当たり前だから大切なのだ。チャーリーの死因は知らない。かれが私の十代のころに、与えてくれた(チャーリーからすれば、会ったこともない極東の人間にすぎないが)ものは計り知れない。朝食と弁当の準備をして、部屋の片づけをしよう。部屋の換気をする。歯を磨いて顔を洗う。かれはミックをぶん殴る前に、ビシッと身なりを整えたという。私はだれをぶん殴るつもりもないが、出勤の前には身なりを整える。そうして、このコロナ禍を生き延びるつもりである。
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