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誰もフォロワーになれないジェフ・ベックは【孤高の天才】である

孤高の天才ジェフとアントニオ猪木(音楽プロデューサー渋谷陽一構想予測は時間切れで書けず)

音楽文が終了してしまうのは残念だ。読むのも書くのも楽しみだった。

皆さんありがとうございます。
書いてくださった皆さん、楽しく読ませていただきました。
僕の駄文を掲載してくださった校正他、スタッフの皆さん誤字脱字の多い僕の文章を掲載してくださって、本当にお世話になりました。ありがとうございます。
最後に書かせていただきます。

さて、今回は、どうしても書いてみたかったジェフ・ベックについて、駆け込みで書いてます

天才というのは、それまで誰も反則技としてやらなかったことを実行に移し、その行動を新しい常識として定着させてしまう人と僕は定義している。

ロック界の天才は数限りなくいるが、僕が天才という言葉で真っ先に思い浮かべるロックミュージシャンはジェフ・ベックである。

今回は、異種格闘技戦で、ロック界の、【孤高の天才】ジェフ・ベックと完全に畑違いだが、僕が信者であるプロレス界の【孤高の天才】プロレスラーアントニオ猪木さんはなぜ、【孤高の天才】といえるのか書く。

結論からいうと
この2人は、ただの(適切な言い方ではないのだが)天才ではなく、あくまで、【孤高の天才】なのだ。なぜなら、それが世の常識にならない、フォロワーが誰もいないのだ。誰もなろうとしてもなれない憧れの星だ。

完全に音楽文としては、反則技といっていい組み合わせだが、音楽文も終わりなので、思いっきり書いてしまう。

繰り返しになるが、世にいう天才というのは、それまでの常識≠反則技を常識に変えてしまう人である。最初、違和感があっても後年、圧倒的に支持され、いつの間にか新しい常識として天才の編み出した方法は定着する。

反則技がなぜ天才なのか、おっさんらしく歴史上の人物で証明する

源義経と織田信長。

源義経
源義経は、武士が名乗りをあげ、1対1で戦うのが常識、美学の時代に、武士ではない狙うことを誰も考えなかった船の漕ぎ手を射ることで、最強だった平氏の水軍を打ち破った

織田信長
織田信長は、一所懸命の精神の農民を借り出して、その土地を守るための強靭な精神力で必死に戦うから強い兵士で戦(いくさ)をするのが常識の時代(ようは農閑期しか戦えない)に、銭で兵を雇い(傭兵)、その兵は圧倒的に弱かったが、一年中戦い続けて、相手を疲弊させて、勝ち続けた。桶狭間における寡兵による電光石火の劇的勝利が有名な織田信長だが、寡兵を前提に戦いを挑んだのは、生涯この一度きりといっていい。この時代、織田信長ほど、我慢強く長期間にわたって、常に敵を上回る兵力で戦い続けた武将はいない。

以降この2人の武将の反則技は、世の武将の常識的な作戦になる。

ジェフ・ベックは反則技をしている。ロックというのはその成り立ちから(話の展開上、不都合なのでベンチャーズは除いてしまう)基本的に、ボーカリストが存在している。ボーカリスト不在で、見事にロックしてしまったミュージシャンは、ジェフ・ベックだけと(この文章の中では)いうことにしておく(軽い気持ちで書いているので、厳密なことは許してください)。

そうボーカリスト不在という反則技をロックとして成立させてしまったのがジェフ・ベックである。故に天才である

僕が、初めて、ジャケ買いしたアルバムはジェフ・ベックの『Wired』である。名盤は必ず、アルバムジャケットも素晴らしいが、これほど 「かっこいい」 という表現があてはまるアルバムジャケットはない。とにかくかっちょいい。

何度か、ジェフ・ベックのコンサートには参戦しているが、特に、この10年間ぐらいのジェフ・ベックを観ていると。そのルックスもプレイも、今でも『Wired』のままである。ファッションははっきり言って、古臭い。何年か前に、インストぅルメタル・バージョンのコンサートのジェフの衣装は、ティアドロップのサングラス、ダボダボのズボン(決して、パンツではないズボンだあれは)、タンクトップに、袖なしGジャン。

こんなファッションしている兄ちゃんを見かけたら、ロックファンとわかるが、決して、友達にはなりたくない。だが、ジェフ・ベックは異常なほど、違和感なく似合ってしまうのだ。恰好いい。『Wired』のジャケットで時間が止まっているようである。年齢不詳だ。肉体は見事に鍛え上げられている。

しかし、ジェフ・ベックの反則技は、ほぼそのフォロワーがいないので、【孤高の天才】という表現が相応しい。

ジェフ・ベックは、1975年『Blow by Blow』、1976年『Wired』、そして1980年『There & Back』という3枚のギターソロオンリーのインストロックアルバムを発売している。これが僕は大好きなのだ。これぞジェフ・ベックである。スーパー・ギタリストといっても完全インストアルバムを3枚も連続でリリースするロックミュージシャンは。僕の記憶の範囲(あくまで僕の範疇です)では皆無である。

3大ギタリストの1人エリック・クラプトン(ジミー・ペイジはさっぱり演奏しないから書かない)は、今やライブに行けば(それが悪いのではない)アコースティックの「Layla」そして「Tears in Heaven」で涙するお客さんが殆どだ。「Layla」でブルートーンを聴かせろ、そんな「Layla」は嘘っぱちだ、いつから渋いボーカルが売りになったんだと心の中で叫び、「Layla」で寝たふりをしている俺のようなおっさんファンは完全な少数派である。今や、この2曲でうっとりする女性ファンがライブ会場の半分ちかくを占める。それなのに、マディ・ウォーターズならまだ俺でもわかるが、全く、誰の曲かわからないブルースのカバーを演奏する。しかし、クラプトンのボーカルがはいるとオリジナルナンバーかもしれないと思わせるところが彼の力量ともいえる。ブルートーンの「Layla」を聴きたいと期待し続け、結局、俺もコンサートに足繫く通っている。が、残念なことにアコースティックの「Layla」しか聴いたことがない。

その点、ジェフ・ベックのコンサートは安心だ。超絶ギターソロいがい、期待していないのである。そこに真正面から応える。会場にいるファン全員それしか期待していないことを知り尽くしている。実は、そういうプレイを本能の赴くだけにしているだけかもしれない。永遠のギター小僧ジェフ・ベックである。

このフォロワーなしの【孤高の天才】は、日本の全く別のエンターテイメントの世界にいる。アントニオ猪木さんである。

現在は、プロレス女子がかなり多くいるらしく、エンターテイメントの1ジャンルとして確立し、テレビドラマの主役の現役プロレスラー役を人気俳優が演じるというプロレス。中学時代に直木賞作家の村松友視さんの初著作『私、プロレスの味方です。金曜午後八時の論理』を読んでいたころの僕なら、現在の状況に怒り狂っていたが、今は、それが現実であり、プロレスというジャンルが生き残っているのが痛快で、ドラマも爆笑してみていた。時代は進化するのである。村松さんがプロレスを「ジャンルの鬼っ子」と表現したが、その通りである。さすがプロレスだ。

アントニオ猪木さんの何が【孤高の天才】なのか。
アントニオ猪木さんを天才と確信したのは、前述の『私、プロレスの味方です。金曜午後八時の論理』を読んでからだ。人生で最も重要な本の一冊である(誰も僕にそんなことは聞かないが)。
アントニオ猪木さんは、日本のプロレス界の「暗黙の了解」(この言葉は村松友視さんのオリジナルである)を破った反則技を多用するプロレスラーだ。力道山と柔道の鬼 木村政彦という血なまぐさい抗争の歴史で長い間封印されていた、日本人対決を持ち込んだ、また、異種格闘技戦というプロレスの常識で、誰も考えなかった闘い(猪木さんは闘いという言葉を使う)≠反則を実践したのもアントニオ猪木さんである
僕は小学生のころから、プロレスはキング・オブ・スポーツであると公言し、世間と闘っていたアントニオ猪木さんに心酔していた。僕にとって、アントニオ猪木さんこそ、史上最強のプロレスラーであり、史上最強の人間であった。それを否定する、したり顔のボクシングファンと論戦(子供だからただの口喧嘩である)しても負け続けていた僕を救ってくれたのがこの本だ。その後、この本を完全にパクッて、アントニオ猪木さんの凄み(凄みという言葉も村松友視さんが使っていた)を語っていた。

この20年ぐらいの間に、かなりプロレスのリアルな裏側を語る本が出版されて、色々と事実も明らかになってきた。
が、それでもアントニオ猪木さんは天才で、本当に強かったということを証明する。
1976年のアントニオ猪木さんは、本当に強かった(完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫) 著者 柳澤 健を参考にしている)。
1976年にアントニオ猪木さんは3試合のリアルファイトをしている。モハメッド・アリ、パク・ソンナン、アクラム・ペールワンである。
わかりやすいので、世紀の一戦と試合前から世間の大注目を浴びた『アントニオ猪木対モハメド・アリ戦』について語る(話すのではない、これはあつーく語るという言葉が相応しい)。
試合後は、正規の凡戦と世界中から叩かれた。当時、リアルタイムで僕も観たが、さすがの猪木信者の僕もこれほど面白くない試合はないというしかなかった。がっかりした。興奮しなかった。
が、今の格闘技を観て、それなりにリアルファイトの戦い方を知識として吸収した私の視点で観れば、この試合は、恐ろしく殺気立っていて、現在のアルティメイト、リアルファイトの原型と断言できる。それを約50年前にアントニオ猪木さんは実践したのだ。この試合のあった1976年のアントニオ猪木さんは凄まじく強かった。アントニオ猪木さんの全盛時代である。当時、某国営放送までニュースになり、世間に叩かれまくったが、現在のリアルファイトを観た人ならこの試合の凄みがはっきりと理解できる、今の評価は超リアルファイトでやるかやられるかの殺気しかない試合である。当時の評価と現在の評価は真逆である。アントニオ猪木さんはやはり強かった(その後のアントニオ猪木さんは、肉体の衰えを隠し切れず、アントニオ猪木という幻を背負ってリングに上がり続けた)。あの寝そべったアントニオ猪木さんの戦い方は、世界最強のボクサーであるモハメド・アリと戦うということを想定したリアルファイトの試合であれば、当たり前の戦い方だ。つまり、世紀の凡戦と言われてしまったのは、僕も含め、リアルファイトを見極めるだけの眼力が備わっていなかったのだ。30年早すぎたのだ。これで、膨大な借金を背負ったアントニオ猪木さんは、それを逆手にとり、異種格闘技戦を興業化し、借金を返してしまう。こんなことをするプロレスラーは、アントニオ猪木さんしかいない。やはり、アントニオ猪木さんはフォロワーのいない、ジェフ・ベックと同じ【孤高の天才】である。

同時にこの2人、自由自在である。ジェフ・ベックは、気が向けば、ボーカル入りのアルバムを作るし、アントニオ猪木さんは、異種格闘技戦を展開しながら、プロレスの試合を平気でしてしまう。

要するにこの天才は、何でもありなのだ。ジェフ・ベックがギターを弾いていれば、OKであるし、アントニオ猪木が試合をすればOKなのだ。
同時に熱烈な信者はいるが、それは、決して世界的、国民的な人気ではない。絶大な人気を誇るが、ナンバー1には決してならない、いやなれないのである。

1980年ごろ、アントニオ猪木さんが社長だった新日本プロレスでは、テレビ中継中に、試合の宣伝をしていて、その宣伝のBGMが『There & Back』のオープニングナンバーの「Star Cycle」が使われていた時期があった。このナンバーは、『Wired』の「Led Boots」を当時流行しはじめた、シンセサイザーの打ち込みで再現したサウンドである。シンセサイザーに合わせて、ヤン・ハマーのメロディを弾きまくっている。これがまた凄まじいギターだ。さすが、【孤高の天才】ジェフ・ベックである。

当時、最新作、最先端のサウンドなのだが、超有名な「Led Boots」ではなく「Star Cycle」にするセンスはどうなんだろう。多分、このナンバーを選曲した人が、ジェフ・ベック信者であっただけなのだ。かつ超メジャーな「Led Boots」じゃジェフ・ベックとわかってしまうので、「Star Cycle」にしたのだ。

アントニオ猪木さんの延髄切りは超メジャーな必殺技になったが、必殺技になりきれなかったアントニオ猪木の浴びせ蹴りのようなものである。

この文章、ジェフ・ベックの音楽性について何も語っていないので、これも反則技だ。ただし、書いている僕はただの凡人である。

最後に、ジェフ・ベックについていうと、ブルースを演ろうが、ハードロックを演ろうが、ブラックミュージックとハードロックを融合したファンキーハードロックを演ろうが、インストルメンタルを演ろうが、今のところの最新アルバムである『Loud Hailer』でヒップホップに接近しようが、ライブでなぜ今と思うビートルズの「A Day In The Life」をベタに、しかし超絶テクニックで演ろうが、すべて、ジェフ・ベックなので許せるのである。

ジェフ・ベックなら、ほかのミュージシャンには絶対に弾けないフレーズを平然と弾いてしまうし、アントニオ猪木さんは、竹ホウキを相手に名勝負を作り上げると言われているほどであるから、誰も思いつかない、試合、ストーリーを作りあげてしまうことが可能だ。

しかし、それが、許されて、かつ誰もフォロワーになれないこの2人は、やはり【孤高の天才】としか言いようがない。

時間が限られているから、この音楽文 番外編異種格闘技戦は、ここで打ち止めだ。もう少し、時間、能力、気力があれば、音楽文 番外編異種格闘技戦第2回 音楽プロデューサ渋谷陽一の戦略を予測するというテーマで書きたかった。が、それは、いつの日か僕たちリスナーの前に渋谷さんが音楽として提示してくれる。その日に僕の予測があたっているか、確かめることを楽しみにしていよう。
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