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Bad Ass Templeが放つ不退転の心

さぁ 目を開けて見ろ

「こんなはずじゃなかった」




配信日から半年が経とうとする今でも記憶に焼き付いて忘れられない、私を本格的にヒプノシスマイクというコンテンツにのめり込ませたあのライブを見た感想はその一言に尽きる。







2021年2月14日。『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-6th LIVE≪2nd D.R.B≫2nd Battle-Bad Ass Temple VS 麻天狼-』は無観客配信ライブとして行われた。

ライブビューイングで見ることを楽しみにしていた分残念な気持ちはあったけれど、待ちに待ったBad Ass Temple の新曲を聞くことができる、という思いで臨んだこのライブへの期待は大きかった。

私がまだ彼らを知る前、当初はイケブクロ・ヨコハマ・シブヤ・シンジュク、の4ディビジョンだった。この4組で第1回DRB(ディビジョンラップバトル)が開催され、初代王者になったのはシンジュク・ディビジョン・麻天狼だった。

バトルを終え、次のフェーズに移るのをきっかけに2019年秋、ナゴヤ・ディビジョンとオオサカ・ディビジョンが参戦することとなる。私が彼らを知ったのはそれより数か月後であったから既存のチームに加わった新規メンバーと後から知る。




ナゴヤ・ディビジョン・Bad Ass Templeの印象は「ガラが悪い」だった。

ディビジョンメンバーは何らかの職業に就いており、その職にちなんだリリックを曲中でかます。ディビジョンは三人一組から成り、お互い異業種ながらそれぞれの個性を発揮したチームワークを披露する。

ナゴヤディビジョンは僧侶・ヴィジュアル系ミュージシャン・弁護士で構成された三人組だ。これだけ聞くと理性的で、ガラの悪い要素などない印象に捉えられる。

しかし、初めて彼らを見たとき、あまりの治安の悪さに笑みがこぼれた。

僧侶の波羅夷空却(はらい・くうこう)は19歳の修行僧である。僧侶と聞いて100人中99人は想像するような坊主頭に黒の作務衣姿はそこにはない。短髪の赤髪、耳の面積の方が少ないんじゃないかと思わせるくらい両耳にバチバチにはめたピアス、メタリックなネックレス、指輪を身にまとい、黒のネイルを施し、極めつけに作務衣の上から派手なスカジャンを羽織るという破天荒な恰好。これがナゴヤ・ディビジョンのリーダーだ。

ヴィジュアル系ミュージシャンの四十物十四(あいもの・じゅうし)。18歳ながらヴィジュアル系バンドのヴォーカリストを務める。自身の顔面偏差値に絶対の自信を誇るようにこちらを見る視線は煌びやかながらも鋭い。後ろ髪を伸ばし、華麗な衣装をまとうその姿は派手さの中に美しさを兼ね備えている。いわゆる“中二”を思わせるポージングは確立した自分を持っているように見える。

弁護士の天国獄(あまぐに・ひとや)。リーゼントヘアを決め、白と黒のライダースを着ている姿は一見弁護士には見えづらい。法廷にいたら言葉を駆使する精神攻撃より六法全書をぶん投げる物理攻撃の方が似合いそうな(失礼)オラオラ感が否めない。また、空却と十四とはかなり年齢が離れた35歳である彼は保護者のような役目も果たす。




そんなヴィジュアルだからかクセが強くいかついチームだなあ、という第一印象を抱いていたなか、彼らのデビュー曲『Bad Ass Temple Funky Sounds』を聞いた。

スピード感もさながら一瞬で引き込まれるメロディー、ここは俺たちの独壇場と言わんばかりに勢いで圧倒してくるリリック、アンダーグラウンドから這い上がってくるような、地方から都会へ宣戦布告しているようなマインド。私はその無茶苦茶だけどがむしゃらに前へ向かう勢いに虜になった。気づけば昨年の2020年、サブスクで聞いた曲TOP10に入るほどのめり込んでいたのだと気づく。

この曲は2019年末に発表されており、なぜ私が飽きもせず同じ曲を聞いていたのかというと、今回のライブが開催されるまでナゴヤ・ディビジョンのチーム曲はこの一曲しかなかったからだ。

一年以上、新曲に出会うことがなかったリスナーにとってはライブでの初披露を心待ちにしていたしやっと聞ける、という思いであふれていた。私もその一人でバトル云々よりは彼らの新曲がどうなるのか、一音楽コンテンツとして楽しみにしていた。







『開眼』。新曲のタイトルはライブ前日に発表された。

『Bad Ass Temple Funky Sounds』で見せた、ぶちかます勢いを引っ提げて対戦相手へ宣戦布告をする、そんな必勝曲をイメージしていた。挑発的なリリック、アップテンポなビートで作られる疾走感、他を寄せ付けず圧倒されるような派手なパフォーマンスになるのだろうと。

けれどその期待を置き去りにするかのように、私を待ち受けていたのはノリにのったサウンドでも不敵な笑みを浮かべた彼らでもなかった。


まがまがしい雰囲気を醸し出したイントロに身構え、はるかに予想を超えたイメージの曲が来たと一瞬で悟った。重苦しい重厚なサウンドの中、三人が登場する。左から獄、空却、十四が並び、空却が胡坐をかきうつむく。イントロのボルテージが最高潮に達しようとした瞬間に音が切れ、空却がつぶやく。




「開眼」




かいげん、と発せられたそのとき初めて仏教用語の意の方だと今さらながら気づく。僧侶である空却にちなんだタイトルであることは明らかだった。悟りを開いた境地に至ることとして使われるこのワードによって急速にある種の近寄りがたさ、また神聖さを感じずにはいられなかった。

私にとって彼らは不敵な笑みを浮かべながら場をかっさらうような勢いでぶちかます、破天荒さが魅力だった。新曲もそんなテイストで書かれるに違いない、そんな期待をしていた。

そんな期待を裏切るかのようなシリアスな演出、楽曲に面喰いつつも画面越しに彼らを見つめる。というより目が離せなかった。一瞬でリスナーを飲み込むように、一時も目をそらすことは許されないかのようにくぎ付けになった。空却が放った言葉のあとの静けさに満ちるなか、カメラは十四に切り替わり、彼の“独白”から始まる。




≪この世の全てが暗闇ならば 瞼を開く意味などないから

いっそこの目を潰してしまえば 溢れる涙は止まるだろうか≫







頭をぶん殴られたような衝撃が走った。同時に、一瞬でこの曲から目を背けられないよう身動きができなかった。それは、この独白がヴィジュアル系ミュージシャンとして語られたものではなく、たった18歳の少年、四十物十四として吐き出された言葉だったからだ。

この世界を見限るような諦め、いくら泣いても変わらない現状に対する自分自身での残酷な仕打ち、何が彼をそこまでさせるのか、一瞬では理解できなかった。

ヴォーカリストとして紡ぐ妖艶でダークな声ではなく、がらっと雰囲気を変えた、18歳の少年の素の声で語られたこの言葉はいっそう深刻さが増して聞こえた。

最初のバースだけで悲愴な気持ちに打ちのめされた私はなんとか意識を保とうと画面を改めて見つめる。この曲はきっと生半可な姿勢では聞けない、しっかり見届けなければ、と思わされた。




≪泣いたらダメだ思えば思う程

冷たい雨が頬を流れた≫




涙をこらえようとする、それでも溢れて頬を濡らしてしまうことが今まで何度あったのだろう。彼の悲痛な叫びが心に重くのしかかるのを感じつつ、すぐさま獄へと画面が切り替わる。




≪俺には我慢ならんもんがある 

ひとつは敗北 そしてもうひとつ

その傷 誰かと舐め合う事だ

独り立ち尽くし見上げた夜空

お前の叫びはお前のもので弁護は出来ても代弁は出来ない

同じく俺の怒りや痛みは俺だけのもんだ

誰も触るな≫







弁護士である彼は依頼を受けることで、法廷の場に立つことができる。そこには依頼者の意志がありそれを尊重している。逆に言えば依頼者自身に意志がなければ彼は手を差し伸べられない。

一見突き放すような言い方でも厳しくも思いやりがある彼らしさを感じるリリックのあとに紡がれたのは、有無を言わさないよう圧を込めて淡々と、けれど力強く吐いた、誰も触るな、だった。

彼が抱えてる怒りや痛みをまだ知る由もなかった私は、彼のその明確な拒絶に戸惑いを覚えた。けれど同時に、その負の感情に向き合い立ち向かえるのは他者ではなくまぎれもない自分自身なのだと、ハッとした。

抱えている痛みに対して否定もいらない、他人と比較する必要もない。自分の痛みに自分自身で折り合いをつける、そんな姿勢をこのリリックから感じた私は強く奮い立たされた。







≪疲れ 倒れ 枯れ果てて

もがいて あがいて 堪えて 悶えて

それでも前へ 未来へ 不退転

ひたすら前へ 未来へ 不退転≫




十四と獄が交互に歌い上げる。「不退転」は何があっても屈しないという強い意志から成り、ナゴヤ・ディビジョンのチームとしての核となる言葉でもある。苦しみながらも前を向き進み続ける、その姿勢が今の彼らを形成している事実を改めて味わったのち、立ち上がった空却が彼らの言葉の続きを紡ぐ。







≪二つ眼じゃ抱え切れない

苦しみならここに預かろう≫







まだ19歳の少年である彼が十四と獄の苦しみを受け止める覚悟やその度量の大きさを持ち合わせていることを表したこのリリックに、彼がナゴヤ・ディビジョンのリーダーであるとはっきり思い知らされた。そしてその瞬間に息つく間もなく空却、十四、獄の声が聞こえた。




≪開眼 

さぁ 目を開けて見ろ

意志で 意地で 生きて

一蓮托生 ナゴヤ・ディビジョン

六つの眼で共に見つめよう≫







三人が叫ぶように≪開眼≫と叫び、≪さぁ 目を開けて見ろ≫、と力強く説くように歌い上げる空却。そして、空却、獄、十四の順に≪意志で 意地で 生きて≫、と韻を踏んだリリックをかます。

三人の声が重なった、≪一蓮托生 ナゴヤ・ディビジョン≫、がまるで対戦相手への宣戦布告として自らの存在を強く示すかのように高らかに歌われる。

そして空却一人で放ったラストバースは彼らがともに突き進んでいく固い決意を表すように、画面越しの私はその勢いに気圧されてしまった。




こんなはずじゃなかった。私にとって彼らの音楽は数あるエンタメコンテンツのひとつだった。待ちに待った新曲がやっと聞ける、その思いだけで臨んだライブだった。

悪く言えば感情を強く揺さぶられるような、心を乱す要素なんて持っていないコンテンツだと思っていた。それなのに。

私は溢れてくる涙をどうしようもなく流し続けるしかなかった。ハンカチもタオルも何も準備してなくて両手で顔半分を覆うように当てて零れる雫を抑えてはいたけど、パソコンを置いた机に数滴の痕跡があるくらい流していたのだと後から気づく。

それでも決して目を離さずにはいられなかった。涙を拭く隙すら惜しく、涙が目に溜まって視界がぼやけないようにすることに必死だった。

声も出せず、両手で口元を抑え、息を殺すかのように画面を見つめ続けた。少しでも気を抜けば涙と共に嗚咽が混じりそうなのを懸命にこらえながら画面のその先の彼らへ集中力を高めた。







彼らのリリックに、彼らが抱えている苦悩に立ち向かおうとする姿に、彼らが三人でともに先へ進もうとする絆の強さに、私は胸が苦しくなるほど心打たれた。

誇れる自分であるために、自分の意志で、時には意地を見せながら、生きてゆく。それぞれが向き合うべきものへ彼らの視線はひたすらにまっすぐだった。

六つの眼で共に見つめよう、と空却が彼ら自身に向けて歌ったこの曲に厳密にはリスナーへのメッセージは込められていないのかもしれない。

けれど、それでも私は彼らの生き様に心震わされ、強く奮い立たせられた。お前はどうだ?と問いかけられているように思う瞬間もあった。

彼らが彼らであるために、強くあろうとする姿は美しかった。自分の弱さや苦悩を曝け出せる勇気も、過去を乗り越えようとする努力も、仲間とともに突き進んでいく覚悟も、全てが眩しかった。

けして他者に強くあれと強いるのではなく、自分たちの生き様を目に焼き付けろと言わんばかりのパフォーマンスに心底魅せられてしまった。誇れる自分であろうとする彼らをまざまざと見せつけられた。

あの光景がずっと心に刻まれている。













私自身の苦悩には私が立ち向かうしかない。空却が「預かろう」と放ったリリックを聞いてそのことに気づかされた。これまで私は時間が解決してくれたり、人の気持ちが変わることに期待していた。けどそんなことは一度もなかった。

私はずっと目を背けていた。自分と向き合うことを恐れていた。本音を伝えてそれを否定されたらと思うと怖くて言えなかった。理解されないという強い絶望感に襲われ傷つくことを恐れていた。


自分さえ我慢すれば丸く収まる、と表向きは笑顔で振舞う日々を過ごしていた。他人とも、自分とも真正面からぶつかり合うことが怖くて億劫だった。その場しのぎの楽な手段とはわかっていてもやめられなかった。

けれど、日々の小さな負荷が溜まり始めた頃にはその手段も使えなくなって袋小路に陥るように逃げ場がなくなっていった。このままずっと波風立たせないために自分の気持ちをごまかしながら生きていくのか。私の人生後悔を引きずって続いていくのかと思うと不安で押しつぶされそうだった。

枕を濡らすたびに自分のことが嫌いになっていく。変われない自分に憤って失望して無力感に襲われる。そんなループに嵌っていた。

行き詰ったこんな状況に蹴りをつけてくれたのが彼らだった。





苦しみを「預かろう」と言ってくれる存在がいてくれることがこんなにも心強いと初めて知った。直接彼らが私の苦しみを肩代わりしたわけじゃない。あくまで自分自身で向き合うべき、という軸がしっかりある信念は私を勇気づけてくれた。

暗闇の中、彼らは道を照らしてくれるけど進むか進まないかは自分の意志で決めろ、ときっと言うだろう。私は、Bad Ass Templeの奮い立たせてくれる寄り添い方が心強かった。

そばにいてほしかった。こんな情けない自分でも信頼して見放さずにいてほしかった。たくさん時間がかかってしまうかもしれないけど、現状を変えるためにもがくことを諦めたくなかった。不器用に一歩ずつ進んでいくとき、見守って応援してくれる存在を求めていた。







ライブを見た翌日、母と口論になった。今思えば口論と言えないほどお互いが一方的に言いたいことを叫んだ傍から見るとひどいものだったけど、これまで溜めこんでいたものが今なら言えるような気がした。

言葉が感情に追いつかなくて、ぼろぼろ泣いて、声を詰まらせながらそれでも伝えることをやめなかった。母にはわかってもらえないと諦めていた気持ちをぶつけたのはそれでも一番理解してほしかったのが母だったから。




「私は今の私を好きじゃない」





私の苦しみの根源を初めて言葉にして伝えた。その瞬間、これまで積み重なってきた心の靄が少し晴れるかのように気持ちが軽くなった気がした。ようやく自分と母、どちらにも向き合うことができたことによる変化だった。

小さな変化だけど、自分の気持ちをごまかさずに生きるための前進となった変化であることは確かだった。私が私であるために踏み出せた一歩は、誇れる自分であろうとするBad Ass Templeが導いてくれたものだとはっきり言える。







あの日を境にヒプノシスマイクという作品にのめり込んでいった。そしてなりたい自分、誇れる自分を掲げ変化・成長をし続ける彼らから目を離せなかった。

声優とラップカルチャーの融合。ヒプノシスマイクを知った当初はその企画の斬新さに新鮮味を覚えつつも自分には縁のないコンテンツだと思っていた。ヒップホップ自体もこれまできいたことがないジャンルだったから。

聞き始めてからは曲単体として楽しんではいたけれどリリックから個性や性格はおおよそ把握することはできたし、各キャラクターの内情を知ろうとはしてこなかった。

けれど、誰が何を言うかで説得力や言葉の重みが変わるヒップホップの性質は、あらかじめ綿密に構築されているキャラクターの設定をいっそう魅力的に引き出す。そのことに気づいて初めて、ヒプノシスマイクを知って一年以上経ってから今まで踏み込んでこなかったドラマパートを追うようになった。

過去の経験からくる信念、主義、譲れないもの、大切にしていること、それらを知ったうえで改めて聞くとキャラクターの解像度がクリアになり今までふわっと聞いていたリリックも違って聞こえてくる。コンテンツを知ってからだいぶ経つけれど遅ればせながらその楽しさを実感している。




『開眼』は軸がブレないキャラクターである彼らだからこそ私に響いた楽曲だった。Bad Ass Templeの表向きの強さや派手さだけでなく苦悩、葛藤、迷い、などネガティブな感情さえも力にして切り開いていく様を描いたリリックは彼らにしか歌えない、そう確信している。

今後様々な曲が制作されるたび彼らの成長や変化を見届けられるだろう。三人がともに前へ突き進んでいく姿を見つめつつ、私自身も向き合うべきものへ蹴りをつけてゆく。彼らから教えてもらった不退転の心とともに。
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