Chester Bennington [1976-2017]
彼が僕らに遺した光
2018年1月9日
49
「ハンパなかったよな?」
あれは、もう十数年も前の話だ。
大学生だった僕は、周囲や環境に馴染めず、いつも一人で行動していた。人との関わり合いを意図的に避け、深夜のビリヤード場でバイトに励んだり、雑音を遮断する為に、地下鉄で登校する時はヘッドホンを外せなかった。
そう、僕は闇を抱えていた。
2006年の夏は、記録的な酷暑だった。
そんな僕にも、大学の屋外の喫煙所に顔馴染みがいた。単位未取得者が集う8月の補講授業を抜け出し、喫煙所で現実逃避を推進していたのは僕とS君の二人だけだった。いつもヘッドホンで耳を塞いでいるS君は、僕と同じく、厭世タイプだと勝手に思い込んでいた。しかし、友達に囲まれて楽しそうに笑う彼とすれ違うたび、僕とは違う人種だと気づかされていた。
初めて彼が、僕に話しかけてきたのは、炎天下の昼過ぎだった。
「いつもなに聴いてるの?」
その時の僕が、呼吸器のように持ち歩いていた、重鎮ヘビメタバンドの名前を口にした。S君は、「話が合いそうだな」と人懐っこい笑みを浮かべた。
僕も同じ質問を彼に返した。
「リンキンパークしか聞かない。マジでハンパねぇからさ。知ってる?」
当然、知っていた。ビリヤード場の有線で何度も聞いていたのだ。
少し間をあけて、S君は僕の聖域に踏み込んできた。
「あした、ヒマしてる?」
バイトが入っていたし、なにより補講があったけど、それよりもS君には僕を惹きつける“何か”があった。
僕は、即答した。
「ヒマだよ。なにもやることがない」
その時のS君の、嬉しそうに破顔した表情がいまでも忘れられない。
「じゃあ、俺と大阪に旅行しないか。おまえの好きなバンドと俺の好きなバンドがヘッドライナーのフェスがあんだよ。これって運命と思わねぇか」
実は、そのフェスの存在も知っていた。でも、補講があったし、ライブ未体験の人見知りの僕が一人で参加する勇気もなかった。
意を決した、僕は答えた。
「まじかよ!じゃあ、いまからいこうぜ」
「おう!」
近くのコンビニで、「サマーソニック2006」のチケットを発券すると、僕らのテンションはピークに達した。
青春18切符を購入し、名古屋駅から大阪駅までの鈍行列車の中で、僕は堰を切ったかのように喋りまくった。S君は、僕の退屈な話を否定せず聞いてくれた。僕らは、ヘッドホンを外して、大学のこと、将来のこと、音楽のことを熱心に語り合った。
大阪に着いたのは、もう夜だった。
下見ついでに会場に向かうと、ちょうどリンキンパークがリハーサルの真っ最中だった。その爆音に向かって、暗闇の中を全力疾走したS君の後ろ姿に、僕はじぶんが抱えている闇を投影していた。そして、そのS君を引き寄せる、チェスターの圧倒的な存在感に、僕はおよそ100mの距離を挟んで尻もちをつきそうになった。
『Breaking The Habit』を奏でるチェスターの歌声は、天使の子守唄だった。そのメロディーに、暗闇の中から僕らを引っ張り出すのではなく、暗闇の中の僕らを支え、一緒に手を握ってくれる体温を感じずにはいられなかった。
歩道橋の上で立ち止まり、チェスターと邂逅するS君は、警備員に再三注意されようが、そこから断固として動くことはなかった。僕と同じく闇を抱え、周りと同調しながらも透明な涙を流しながら生きてきたんだ、とそのS君の衝動に溢れた行動が僕に雄弁にそう語ってくれた。
そんな様子をみながら、胸のつかえが取れた矢先、バイト先の店長から電話が掛かってきた。シフトがどうとか、常識がどうとか、ぐちゃぐちゃいいやがる。
「うるせぇ」
結局、僕が奴らにいいたいことはそれだけだった。携帯の電源を切って、歩道橋の上で、しばらくS君と二人で煙草を吸っていた。
その夜、僕はリンキンパークの音楽なしでは生きられない身体になってしまった。
翌日、漫画喫茶で目が覚めると、すぐに昨夜と同じく、会場のWTCオープンエアスタジアムに向かった。
いま思えば、この年の【SUMMER SONIC】は錚々たるラインアップである。
活動休止前のELLEGARDEN、『The Black parade』を世に送り出す前のMy Chemical Romance、トリ前でMuseが出演するなんていまでは考えられない。
そういった怒涛のラインアップのおかげで、昨夜の熱気が冷めないうちに、ヘッドライナーのリンキンパークを迎えることができた。
『Don’t stay』のイントロの轟音が場内に流れた時は、背筋に電気が走った。僕とS君は暴れ狂った。
チェスターのタトゥーをずっと僕は追いかけていた。命を削り、魂を叫ぶチェスターは、ありのままの僕らに優しく寄り添ってくれた。
『Numb』で例の天使的な子守唄を奏でたかと思えば、『One Step Closer』では悪魔の怒号を叫ぶチェスターの唄声は、まるで僕らの物語のサウンドトラックのようだった。
そんなリンキンパークの規格外のステージングに唖然としていた僕は、モッシュピットに突入したS君の後ろ姿を見失ってしまった。
――――――僕が抱えていた闇。
それを要約すれば、「このままじゃいけない」という、受け手の無いドス黒い感情だった。チェスターの奏でる賛美歌は、僕らの「このままじゃいけない」という暗雲に、「おまえはそのままでいい。俺が一緒にいてやる」という一筋の光を射し込ませた。
僕は、S君を見失った後で、呆然と立ち尽くしていた。すると、あっという間にアンコールの『Breaking The Habit』のアウトロが流れ、フィナーレの花火が真っ暗な夜空に灯った。
「こんな一生を送りたい」
僕は、その鮮やかな花火に、そう誓ったのを、いまでも昨日のように覚えている。
駅の改札で再開したS君と僕はハイタッチを交わし、何度も花火の色彩について語り合った。
目が醒めたのは夕方だった。
僕のお目当てのヘビメタバンドを見ることはなく、鈍行列車に乗った。
「このままじゃいけねぇよな」と、S君は何度も呟いていたが、僕は隣でずっと眠ったふりをしていた。
夏が過ぎ、S君は大学を辞めた。
大学の連中が、S君についての好き勝手の噂を流していたが、真実は僕だけが知っていた。
チェスターからの贈り物を受け取ったS君は、じぶんの道を歩み始めたのだ。退学届を出したその日のS君と、どうでもいい話題を喫煙所で喋った後、それから彼とは一度も逢っていない。
2017年7月20日。
チェスター・ベニントンは、逝ってしまった。
季節は真夏のピークに達する前だった。
早朝、SNSが《R.I.P》で溢れかえり、報道が彼の人生の因果を過去のトラウマや、ドラッグ問題に強引に結びつける風潮に、あらん限りの違和感を感じていた僕に一通のメッセージが届いた。
「ハンパなかったよな?」
文字にして10文字。
端末に登録されていない差出人は、S君だと僕は不思議とすぐに分かった。そして、そのメッセージが、チェスターの訃報でなく、あの夏のステージでもなく、ましてや死に方でもないこと位、鈍感な僕にも分かった。
S君は、チェスターの“生き様”に突き動かされていたのだ。あの日の花火のように、色鮮やかな激情を携えたチェスターの物語は、S君や僕、そして、世界中の闇に囚われた心に勇気を与えた。
「きみは一人じゃない」
いつだってチェスターは、想像を絶する闇を抱えながら、孤独に戦い、あの天使のような笑顔を僕らに見せてくれた。心を曝け出す勇気を持つことで、モノクロな物語がカラフルに染まることを命を懸けて、僕らに教えてくれたのだ。
そんな想いも汲み取れない薄っぺらな連中に、あなたの人生の結末を語る資格がどこにあろうか。
数日後、バンドの声明が発表された。
「悪魔が俺たちから君を連れ去ったのは、きっと契約の一部だったんだ」
もし、そのような契約が存在したのなら、チェスターはその運命に合意していたのだろう。その命と引換に、色鮮やかな無数の光を、闇を抱えた人々の記憶に遺した。 僕は、彼の生涯自体が、バンドのレコードと等しく、記念碑的な作品として我々の記憶に遺り続け、未来永劫、語り継がれていくことを望んでいるように思えてならない。
彼は、「生き抜いたのだ」、と。
チェスター。
いま、僕はリンキンパークの曲を聞いていない。でも、僕がこの十数年、闇の中を生き抜けたのは、あなたが与えてくれた光があるからだ。僕も誰かの光で在れるよう、これからも曝け出して、傷だらけでも無様に生き延びるつもりだよ。
ありがとう。あなたから受け取った、あの夏の贈り物は、いまも大切な宝物として心の中心でカラフルに煌めいている。
あれは、もう十数年も前の話だ。
大学生だった僕は、周囲や環境に馴染めず、いつも一人で行動していた。人との関わり合いを意図的に避け、深夜のビリヤード場でバイトに励んだり、雑音を遮断する為に、地下鉄で登校する時はヘッドホンを外せなかった。
そう、僕は闇を抱えていた。
2006年の夏は、記録的な酷暑だった。
そんな僕にも、大学の屋外の喫煙所に顔馴染みがいた。単位未取得者が集う8月の補講授業を抜け出し、喫煙所で現実逃避を推進していたのは僕とS君の二人だけだった。いつもヘッドホンで耳を塞いでいるS君は、僕と同じく、厭世タイプだと勝手に思い込んでいた。しかし、友達に囲まれて楽しそうに笑う彼とすれ違うたび、僕とは違う人種だと気づかされていた。
初めて彼が、僕に話しかけてきたのは、炎天下の昼過ぎだった。
「いつもなに聴いてるの?」
その時の僕が、呼吸器のように持ち歩いていた、重鎮ヘビメタバンドの名前を口にした。S君は、「話が合いそうだな」と人懐っこい笑みを浮かべた。
僕も同じ質問を彼に返した。
「リンキンパークしか聞かない。マジでハンパねぇからさ。知ってる?」
当然、知っていた。ビリヤード場の有線で何度も聞いていたのだ。
少し間をあけて、S君は僕の聖域に踏み込んできた。
「あした、ヒマしてる?」
バイトが入っていたし、なにより補講があったけど、それよりもS君には僕を惹きつける“何か”があった。
僕は、即答した。
「ヒマだよ。なにもやることがない」
その時のS君の、嬉しそうに破顔した表情がいまでも忘れられない。
「じゃあ、俺と大阪に旅行しないか。おまえの好きなバンドと俺の好きなバンドがヘッドライナーのフェスがあんだよ。これって運命と思わねぇか」
実は、そのフェスの存在も知っていた。でも、補講があったし、ライブ未体験の人見知りの僕が一人で参加する勇気もなかった。
意を決した、僕は答えた。
「まじかよ!じゃあ、いまからいこうぜ」
「おう!」
近くのコンビニで、「サマーソニック2006」のチケットを発券すると、僕らのテンションはピークに達した。
青春18切符を購入し、名古屋駅から大阪駅までの鈍行列車の中で、僕は堰を切ったかのように喋りまくった。S君は、僕の退屈な話を否定せず聞いてくれた。僕らは、ヘッドホンを外して、大学のこと、将来のこと、音楽のことを熱心に語り合った。
大阪に着いたのは、もう夜だった。
下見ついでに会場に向かうと、ちょうどリンキンパークがリハーサルの真っ最中だった。その爆音に向かって、暗闇の中を全力疾走したS君の後ろ姿に、僕はじぶんが抱えている闇を投影していた。そして、そのS君を引き寄せる、チェスターの圧倒的な存在感に、僕はおよそ100mの距離を挟んで尻もちをつきそうになった。
『Breaking The Habit』を奏でるチェスターの歌声は、天使の子守唄だった。そのメロディーに、暗闇の中から僕らを引っ張り出すのではなく、暗闇の中の僕らを支え、一緒に手を握ってくれる体温を感じずにはいられなかった。
歩道橋の上で立ち止まり、チェスターと邂逅するS君は、警備員に再三注意されようが、そこから断固として動くことはなかった。僕と同じく闇を抱え、周りと同調しながらも透明な涙を流しながら生きてきたんだ、とそのS君の衝動に溢れた行動が僕に雄弁にそう語ってくれた。
そんな様子をみながら、胸のつかえが取れた矢先、バイト先の店長から電話が掛かってきた。シフトがどうとか、常識がどうとか、ぐちゃぐちゃいいやがる。
「うるせぇ」
結局、僕が奴らにいいたいことはそれだけだった。携帯の電源を切って、歩道橋の上で、しばらくS君と二人で煙草を吸っていた。
その夜、僕はリンキンパークの音楽なしでは生きられない身体になってしまった。
翌日、漫画喫茶で目が覚めると、すぐに昨夜と同じく、会場のWTCオープンエアスタジアムに向かった。
いま思えば、この年の【SUMMER SONIC】は錚々たるラインアップである。
活動休止前のELLEGARDEN、『The Black parade』を世に送り出す前のMy Chemical Romance、トリ前でMuseが出演するなんていまでは考えられない。
そういった怒涛のラインアップのおかげで、昨夜の熱気が冷めないうちに、ヘッドライナーのリンキンパークを迎えることができた。
『Don’t stay』のイントロの轟音が場内に流れた時は、背筋に電気が走った。僕とS君は暴れ狂った。
チェスターのタトゥーをずっと僕は追いかけていた。命を削り、魂を叫ぶチェスターは、ありのままの僕らに優しく寄り添ってくれた。
『Numb』で例の天使的な子守唄を奏でたかと思えば、『One Step Closer』では悪魔の怒号を叫ぶチェスターの唄声は、まるで僕らの物語のサウンドトラックのようだった。
そんなリンキンパークの規格外のステージングに唖然としていた僕は、モッシュピットに突入したS君の後ろ姿を見失ってしまった。
――――――僕が抱えていた闇。
それを要約すれば、「このままじゃいけない」という、受け手の無いドス黒い感情だった。チェスターの奏でる賛美歌は、僕らの「このままじゃいけない」という暗雲に、「おまえはそのままでいい。俺が一緒にいてやる」という一筋の光を射し込ませた。
僕は、S君を見失った後で、呆然と立ち尽くしていた。すると、あっという間にアンコールの『Breaking The Habit』のアウトロが流れ、フィナーレの花火が真っ暗な夜空に灯った。
「こんな一生を送りたい」
僕は、その鮮やかな花火に、そう誓ったのを、いまでも昨日のように覚えている。
駅の改札で再開したS君と僕はハイタッチを交わし、何度も花火の色彩について語り合った。
目が醒めたのは夕方だった。
僕のお目当てのヘビメタバンドを見ることはなく、鈍行列車に乗った。
「このままじゃいけねぇよな」と、S君は何度も呟いていたが、僕は隣でずっと眠ったふりをしていた。
夏が過ぎ、S君は大学を辞めた。
大学の連中が、S君についての好き勝手の噂を流していたが、真実は僕だけが知っていた。
チェスターからの贈り物を受け取ったS君は、じぶんの道を歩み始めたのだ。退学届を出したその日のS君と、どうでもいい話題を喫煙所で喋った後、それから彼とは一度も逢っていない。
2017年7月20日。
チェスター・ベニントンは、逝ってしまった。
季節は真夏のピークに達する前だった。
早朝、SNSが《R.I.P》で溢れかえり、報道が彼の人生の因果を過去のトラウマや、ドラッグ問題に強引に結びつける風潮に、あらん限りの違和感を感じていた僕に一通のメッセージが届いた。
「ハンパなかったよな?」
文字にして10文字。
端末に登録されていない差出人は、S君だと僕は不思議とすぐに分かった。そして、そのメッセージが、チェスターの訃報でなく、あの夏のステージでもなく、ましてや死に方でもないこと位、鈍感な僕にも分かった。
S君は、チェスターの“生き様”に突き動かされていたのだ。あの日の花火のように、色鮮やかな激情を携えたチェスターの物語は、S君や僕、そして、世界中の闇に囚われた心に勇気を与えた。
「きみは一人じゃない」
いつだってチェスターは、想像を絶する闇を抱えながら、孤独に戦い、あの天使のような笑顔を僕らに見せてくれた。心を曝け出す勇気を持つことで、モノクロな物語がカラフルに染まることを命を懸けて、僕らに教えてくれたのだ。
そんな想いも汲み取れない薄っぺらな連中に、あなたの人生の結末を語る資格がどこにあろうか。
数日後、バンドの声明が発表された。
「悪魔が俺たちから君を連れ去ったのは、きっと契約の一部だったんだ」
もし、そのような契約が存在したのなら、チェスターはその運命に合意していたのだろう。その命と引換に、色鮮やかな無数の光を、闇を抱えた人々の記憶に遺した。 僕は、彼の生涯自体が、バンドのレコードと等しく、記念碑的な作品として我々の記憶に遺り続け、未来永劫、語り継がれていくことを望んでいるように思えてならない。
彼は、「生き抜いたのだ」、と。
チェスター。
いま、僕はリンキンパークの曲を聞いていない。でも、僕がこの十数年、闇の中を生き抜けたのは、あなたが与えてくれた光があるからだ。僕も誰かの光で在れるよう、これからも曝け出して、傷だらけでも無様に生き延びるつもりだよ。
ありがとう。あなたから受け取った、あの夏の贈り物は、いまも大切な宝物として心の中心でカラフルに煌めいている。
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