小沢健二、台風、2020年、日本
新曲「彗星」を聴いて考える、2020年のあふれる愛について
2019年11月15日
56
2019年10月11日、午前0時、
小沢健二の新曲、「彗星」が突如配信リリースされた。
それはあまりに唐突な出来事だったが、
僕らの暮らしを全肯定する祝祭的な内容のこの曲は、稀代のアーティスト小沢健二の見事なカムバック作となり、そして、
ドンピシャのタイミングでこのハードな時代に生きる僕らの心を奪っていった。
ドンピシャのタイミングと書いたのは、
この「彗星」は、台風15号と台風19号発生の間にリリースされたからだ。
皆さん知る通り、去る9月、10月は超大型台風が立て続けに日本列島を縦断し、各地で豪雨災害となり、その被害は甚大となった。
それは、都市部の一部のタワーマンションで起きた停電被害に顕著だが、
様々な川での氾濫により住居は浸水、
千葉のいくつかの地域では、しばらくの間避難生活が続き、いまだ完全に復旧できていないエリアも多く存在すると聞く。
2011年の東日本大震災の際の、地震、津波、原発の事故といった、誤解を恐れずに言えばもはやどこか当たり前となってしまった脅威ではなく、
台風による水害といった新たな脅威により、
首都圏に住む人間も含め、日本全体が新たな危機意識を持つこととなった。
実際に、小沢自身もつい先日放送された番組で、こんな事を言っている。
「彗星って水とかでできてて、すごいギリギリ危ないんですよね。なんかその気持ちもすごくあって。だから、すごく幸せいっぱいということでもないんですけど」
(テレビ朝日「ミュージックステーション」、小沢健二の発言から)
そんな言ってしまえば、日本全体が不安定な、不安な状態の中、音楽で灯す一つの確かな光。
それが僕の中の「彗星」だ。
そして、それは改めて、音楽の力をまざまざと見せつけられるような体験でもあった。
ただ、当たり前の話なのかもしれないが、
小沢健二の音楽としては、
根本的には何も変わっていないと思うものの、
明らかにこれまでとは異なる曲だ。
特に、25年前の94年のLIFE期とは違う。
今作の歌詞では、00年代を肯定せず、今やこれからの時代を全肯定するような歌詞の為、
僕には明らかに異質にうつった。
小沢健二を信頼しているがゆえ、違和感も感じた。
あれこれ考えても、釈然としないままだったが、その答えはSNSで小沢本人の口からあっさりと語られ、その意図を知ることとなった。
「2020は米語では大統領選、日本語では五輪。
手垢のついた言葉だからこそ、歌詞にした。
思惑や利権の轟く公的な2020とは別に、一人一人の私的な2020は静かに、確かに、やってくる。」
(小沢健二 公式Twitterより)
そう、「彗星」はやはりというか、一聴すると東京オリンピックや、米大統領選などの社会的に大きなターニングポイントとしての2020を歌っているような曲調ではあったが、
実際は静かに、確かにやってくる私的な人間真理についての歌だった。
そして、彼の長年のファンでもあるタモリも、自身が司会を務める番組の中でこう評している。
「これはやっぱりテーマになってるのは、現実っていうのがホントは奇跡なんだということがテーマになってまして、現実に戻るとか、現実になんとかとか、現実を超えるとか、現実は否定されるもんだといわれてきてんですけど、そうじゃないんだという。現実こそが奇跡、宇宙であるという。小沢くんがずっともってる全肯定の思想がやっぱ、ここにあるんじゃないかと」
(テレビ朝日「ミュージックステーション」、タモリの発言から)
現実は否定されるものといわれているが、
現実が奇跡で宇宙という、タモリの評も凄まじいが、まさに、小沢が狙った表現はこれに尽きると思う。
2020という表層のキラキラではない、その裏側で起きる、あなたの生活を2020というワードを用いて語る事。
そう、2020年という、これまで以上に思想や利権が轟く混迷の時代だからこそ、あなたの為に私的な音楽の力がより必要になる。
そして、小沢健二は社会や人がどうあれ、一人一人の私的なライフ、それを輝かせ、取り戻すための音楽を奏でる。
94年の名曲「ラブリー」で歌われた、
LIFE IS COMI'N BACK!
音楽で生活を取り戻す。
そういった、我々が日頃、忘れがちなフィーリングを、25年たった2019年の今、
小沢健二の曲は改めて教えてくれる。
近年、リリースされた作品ではダントツの出来である、 僕らをイチコロにした、どこまでも豊潤な「フクロウの声が聞こえる」である意味迎えた頂点は、頂点ではなかった。
まだまだ先があった。
コアなファンから渇望されていたアルバムのリード曲がこんなにも凄いものだとはと、
正直に参ってしまった。
まだ手にはしていないが、今の段階でも、
次のアルバムは間違いなく傑作になる。
そんな予感が僕の中に満ち溢れている。
そして、喜びは悲しみと表裏一体とばかりに、
そう、イケイケな王子様がまるで反動のように全能感を体現した、あの頃の無敵のアルバムを愛した人間全ての人を唸らせてほしいと心から願っている。
いずれにせよ、その全貌がまもなく公開されるが、これでもう十分と思いつつも、
来年はそのアルバムを引っ提げたツアーが行われる事も決定した。
こちらも今から楽しみでならない。
一時期、小沢は表だった音楽活動をしていない期間が長く、その沈黙の長さゆえ、もう彼からは新しい言葉が出てこないのではないかと心配するファンも大勢いた。
そんな、時代や自分自身にフィットする言葉をずっと探していた男が、アウトプットしまくる時期がとうとうきたのだと、感慨を覚える。
─小沢健二の音楽は、現実を奇跡と定義し、
「真っ暗闇」のこの時代を撃つ新たな光の音楽。
正直、年齢や世代は関係なく、
今、聴かない手はないと思う。
あなたの目の前に、あふれる愛がやってくる。
小沢健二の新曲、「彗星」が突如配信リリースされた。
それはあまりに唐突な出来事だったが、
僕らの暮らしを全肯定する祝祭的な内容のこの曲は、稀代のアーティスト小沢健二の見事なカムバック作となり、そして、
ドンピシャのタイミングでこのハードな時代に生きる僕らの心を奪っていった。
ドンピシャのタイミングと書いたのは、
この「彗星」は、台風15号と台風19号発生の間にリリースされたからだ。
皆さん知る通り、去る9月、10月は超大型台風が立て続けに日本列島を縦断し、各地で豪雨災害となり、その被害は甚大となった。
それは、都市部の一部のタワーマンションで起きた停電被害に顕著だが、
様々な川での氾濫により住居は浸水、
千葉のいくつかの地域では、しばらくの間避難生活が続き、いまだ完全に復旧できていないエリアも多く存在すると聞く。
2011年の東日本大震災の際の、地震、津波、原発の事故といった、誤解を恐れずに言えばもはやどこか当たり前となってしまった脅威ではなく、
台風による水害といった新たな脅威により、
首都圏に住む人間も含め、日本全体が新たな危機意識を持つこととなった。
実際に、小沢自身もつい先日放送された番組で、こんな事を言っている。
「彗星って水とかでできてて、すごいギリギリ危ないんですよね。なんかその気持ちもすごくあって。だから、すごく幸せいっぱいということでもないんですけど」
(テレビ朝日「ミュージックステーション」、小沢健二の発言から)
そんな言ってしまえば、日本全体が不安定な、不安な状態の中、音楽で灯す一つの確かな光。
それが僕の中の「彗星」だ。
そして、それは改めて、音楽の力をまざまざと見せつけられるような体験でもあった。
ただ、当たり前の話なのかもしれないが、
小沢健二の音楽としては、
根本的には何も変わっていないと思うものの、
明らかにこれまでとは異なる曲だ。
特に、25年前の94年のLIFE期とは違う。
今作の歌詞では、00年代を肯定せず、今やこれからの時代を全肯定するような歌詞の為、
僕には明らかに異質にうつった。
小沢健二を信頼しているがゆえ、違和感も感じた。
あれこれ考えても、釈然としないままだったが、その答えはSNSで小沢本人の口からあっさりと語られ、その意図を知ることとなった。
「2020は米語では大統領選、日本語では五輪。
手垢のついた言葉だからこそ、歌詞にした。
思惑や利権の轟く公的な2020とは別に、一人一人の私的な2020は静かに、確かに、やってくる。」
(小沢健二 公式Twitterより)
そう、「彗星」はやはりというか、一聴すると東京オリンピックや、米大統領選などの社会的に大きなターニングポイントとしての2020を歌っているような曲調ではあったが、
実際は静かに、確かにやってくる私的な人間真理についての歌だった。
そして、彼の長年のファンでもあるタモリも、自身が司会を務める番組の中でこう評している。
「これはやっぱりテーマになってるのは、現実っていうのがホントは奇跡なんだということがテーマになってまして、現実に戻るとか、現実になんとかとか、現実を超えるとか、現実は否定されるもんだといわれてきてんですけど、そうじゃないんだという。現実こそが奇跡、宇宙であるという。小沢くんがずっともってる全肯定の思想がやっぱ、ここにあるんじゃないかと」
(テレビ朝日「ミュージックステーション」、タモリの発言から)
現実は否定されるものといわれているが、
現実が奇跡で宇宙という、タモリの評も凄まじいが、まさに、小沢が狙った表現はこれに尽きると思う。
2020という表層のキラキラではない、その裏側で起きる、あなたの生活を2020というワードを用いて語る事。
そう、2020年という、これまで以上に思想や利権が轟く混迷の時代だからこそ、あなたの為に私的な音楽の力がより必要になる。
そして、小沢健二は社会や人がどうあれ、一人一人の私的なライフ、それを輝かせ、取り戻すための音楽を奏でる。
94年の名曲「ラブリー」で歌われた、
LIFE IS COMI'N BACK!
音楽で生活を取り戻す。
そういった、我々が日頃、忘れがちなフィーリングを、25年たった2019年の今、
小沢健二の曲は改めて教えてくれる。
近年、リリースされた作品ではダントツの出来である、 僕らをイチコロにした、どこまでも豊潤な「フクロウの声が聞こえる」である意味迎えた頂点は、頂点ではなかった。
まだまだ先があった。
コアなファンから渇望されていたアルバムのリード曲がこんなにも凄いものだとはと、
正直に参ってしまった。
まだ手にはしていないが、今の段階でも、
次のアルバムは間違いなく傑作になる。
そんな予感が僕の中に満ち溢れている。
そして、喜びは悲しみと表裏一体とばかりに、
そう、イケイケな王子様がまるで反動のように全能感を体現した、あの頃の無敵のアルバムを愛した人間全ての人を唸らせてほしいと心から願っている。
いずれにせよ、その全貌がまもなく公開されるが、これでもう十分と思いつつも、
来年はそのアルバムを引っ提げたツアーが行われる事も決定した。
こちらも今から楽しみでならない。
一時期、小沢は表だった音楽活動をしていない期間が長く、その沈黙の長さゆえ、もう彼からは新しい言葉が出てこないのではないかと心配するファンも大勢いた。
そんな、時代や自分自身にフィットする言葉をずっと探していた男が、アウトプットしまくる時期がとうとうきたのだと、感慨を覚える。
─小沢健二の音楽は、現実を奇跡と定義し、
「真っ暗闇」のこの時代を撃つ新たな光の音楽。
正直、年齢や世代は関係なく、
今、聴かない手はないと思う。
あなたの目の前に、あふれる愛がやってくる。
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