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私が「ワシ」と出会った日

藤井風

好きな音楽をこの先もずっと好きかどうかはわからない。
今と同じ気持ちで聴き続けることができるかもわからない。

学生の頃は音楽に対して貪欲な方だったと思う。
新しいアーティスト、刺激的な音を常に探していた。
週末には気になるアーティストのライブを片っ端から観に行った。
そして、それをエネルギーに変えて、必死に勉強して夢を追いかけていた。

大学卒業後、幸運にも夢だった職業のポジションをつかむことができた。
けれど、親の大反対にあってすぐに辞退することになった。
当初は親を恨んだけれど、あんなに憧れていた職業につけるという現実をいざ目の前にして、ビビったのは自分自身。夢を手放したのは私だ。

私は大好きだった音楽を聴かなくなった。
夢を追いかけていたキラキラした自分を思い出すから。
その日々が無駄だったことを実感してしまうから。

その後、私は地元で就職し、結婚して、子供も授かった。
毎日バタバタしているけれど幸せだ。
よく辛いことや苦しいことは時間が解決してくれるというけれど、私も少しずつ音楽を聴くようになった。昔好きだったアーティストの曲も聴いた。
でも、以前のように心が動くことはなかった。

それでも、子供を寝かしつけたあとに、YouTubeでダラダラと音楽を聴くのが束の間の楽しみになった。
そんな時、オススメとして表示された動画。妙に画像が荒いサムネ。
「昭和にYouTubeなんてあったっけ?」あまり期待せずに見てみる。
そこにはピアノを叩くように弾きながら歌う青年の姿。
藤井風だ。
一瞬で目と耳が離せなくなった。
力強いピアノの音、伸びやかで色気のある歌声。
様々なジャンル・年代の曲を、オリジナルに敬意を払いつつ、時にはがらりと別の楽曲に変えてしまう、アレンジセンス・表現力の高さ。
そして何より演奏している本人が楽しくて仕方がない様子で、時折カメラに向ける視線には余裕すら感じさせる。何なんだ、このオーラは。

私は胸が高鳴った。もっと聴きたい。

動画でみる彼は大人びて見えた。けれど、実際はまだ20代前半だと知って驚いた。
「昭和の人じゃなかったのか。」(それは言い過ぎか)

そして、この(良い意味で)年相応に見えない藤井風という人は、岡山県のド田舎に生まれ、楽器の演奏ができないお父さんからピアノやサックスを教わり、年代やジャンルにとらわれることなく、ありとあらゆる音楽を聴いて育ったと、どこかで読んだ。
「自分が楽器できないのにどうやって教えたんですか、お父さん」と思ったが、きっと愛する子どもたちのためにご自身も一生懸命勉強されたのでしょう。
そんな愛と音楽のあふれる環境が、あんなにもポジティブで、ダイナミックなアレンジ・表現力を生むことにつながったのは容易に想像できた。
情報過多ですべてがもの凄いスピードで消費されていく都会より、自分の好きなものや感じることに対して、自分のペースで真摯に向き合うことができる岡山の田舎という環境だからこそ確立することができた彼の世界観なのだろう。
もちろん、好きだからこその努力も惜しまなかったに違いない(表には見せないけど)。だって、余裕や自信はそれを裏付けるだけの練習量や取り組みがあってこそのものだと思うから。彼の圧倒的な演奏力だったり、垣間見られる余裕さだったり、実年齢より年上に見えたりする姿は、そんなところからきているのかもしれないと勝手に推測した。

そんな彼が「何なんw」というオリジナル曲でついにデビューした。
彼が影響を受けてきたであろうブラックミュージック色を感じられるポップスだ。
彼の声が、ピアノが、ベースラインが、私の体中をうねりながら駆け巡っていく。
気持ちいい!
そして何よりユニークなのが、岡山弁で歌われるその歌詞。私にとって聞きなれないものだったが、独特のリズムや言い回しが面白い。方言だからこその言葉の力強さもあるように感じる。
でもこれって結局、「お互いの距離が近すぎて大切なものを見失ってしまった恋人同士」みたいな内容なのかな。そんなことを思いつつ聴いていた。

その後、藤井風本人による楽曲説明の動画がYouTubeにアップされた。
彼が楽曲に込めたメッセージ。
それは自分自身のなかに必ず存在する「ハイヤーセルフ」に耳を傾けろ、そうすれば正しい道に導いてくれるという内容だった。
そのハイヤーセルフの言葉として、曲中で<ワシ>が語りかけてくる。
けれど、この<ワシ>の主は、全くその声を聞こうとしない。
それでも<ワシ>はあきらめない。主が幸せになれるよう言葉をかけ続ける。

<先がけてワシは言うたが>
<そっちへ行ってはダメと>
<何で何も聞いてくれんかったん>
<知らない方が良かったなんて言わないで居て 何があってもずっと大好きなのに>
<目を閉じてみて 心の耳すまして 優しい気持ちで 答えを聴いて> 

うむ。そうなのか。
解説を聞いた後、改めて曲を聴いてみる。
ただの恋愛ソングだと思っていたものが、あの青さのりの歌詞のくだりが、一気に崇高な意味をもったものに聴こえてきた。それはまるでアンセムのように。

そして出会ってしまった。私のなかの<ワシ>に。
<ワシ>が私のあまり触れてほしくないところに一気に攻め込んでくる。

<あれほど刻んだ後悔も くり返す毎日の中で かき消されていくのね>
<真実なんてもんはとっくのとうに 知っていることを知らないだけでしょう>
<目を閉じてみて 心の耳すまして 優しい気持ちで 答えを聴いて> 

本当は、いつも心の隅っこがモヤモヤしていて、どこか苛立っていた。
女だから、妻だから、母親だから、(ちょっと)歳食っちゃったから・・・と、言い訳をしていたのは私。
毎日の生活に追われて、<ワシ>の声が聞こえないフリをしていた。
結果、私はまんまと<肥溜めへとダイブ>していた。

でも、<ワシ>は教えてくれた。
「本当はあきらめきれていないんでしょ?」
ずっと閉じ込めてきた気持ち。
努力の末、自分の夢をつかんだのに手放したことへの深い後悔。
まだその夢を追いかけたいという想いがあること。
この歳で夢がどうのこうのと語ることは正直照れくさい。
けれど、私は自分の奥底に隠してあった声に気づいてしまった。
もう無視することはできない。
でも、勇気をもってそれを認めてあげたら、信じられないくらい心が軽くなった。
それもあっさりと。

昔と今では置かれている状況がまったく違うことはわかっている。
自分のやりたいことだけ追及できるというわけではない。
いろいろなところで折り合いをつけていなかければならない。
でも、娘としての自分、妻としての自分、母親としての自分、それらに属さない自分、という何足ものわらじを履いてでも、やりたかったことができるんじゃないか。
今の私だからこそできるやり方で、もう一度チャレンジしてもいいんじゃないか。
そう<ワシ>は気づかせてくれた。

実際、私はもう動き出している。
うまくいくかはわからない。
でも、どっちに転んでも私は大丈夫だと思う。
うまくいっても、もうビビらない。
うまくいかなかったとしても、今度は後悔しない。
だってどちらも自分のなかの<ワシ>に従った結果だから。
納得して前に進めるような気がする。

最近、昔大好きだった曲を、昔と同じようにワクワクした気持ちで聴けるようになっていることに気づいた。そんな自分がまだいてくれたことに喜びを感じている。

5年後、10年後、私は藤井風の音楽を聴き続けているのだろうか?
もし聴いているのなら、どんな気持ちでいるのだろう?
まったく想像がつかないけれど、その時の私も<ワシ>とうまく付き合っていられたらいいな。
そして、私は何の根拠もないけれど、自分のこれからに期待している。
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