back numberに心打たれて
期間限定公開「雨と僕の話」に思う
2020年5月18日
81
この楽曲は、聴く人それぞれの心の中にある雨のエピソードを思い起こさせる曲だと思う。
3月31日、昨年行われたNO MAGIC TOUR 2019の大阪城ホールでのライブ映像「雨と僕の話」がYouTubeで配信された。
今年に入って至るところで行動が自粛されている中、配信数日前に発売されたライブDVDを購入した私にとっても、一般の方とback numberの楽曲を広く共有できる機会となるとても嬉しい計らいだった。
「雨と僕の話」という曲は、back numberの最新アルバム「MAGIC」に収録されている一曲であり、シングルの表題曲にはなっていないためか、同じく配信されている「大不正解」「HAPPY BIRTHDAY」に比べると視聴回数が少ないが、とても聞き応えのある名曲だ。
イントロはピアノから始まる。
一発目の音を聞いた瞬間感じた。
「あ、もう雨が降っている。」
少しさみしいような、けれど水分が体に染み渡ってくるような優しさも兼ね備えた和音から始まる。
次はベースが入る。この曲のアングルはきっと伏し目がちで、地面に視線をさまよわせていたが、ベースの音の上行に沿って雨空を見上げているようなそんなイメージの音だ。
次はギターが入り、気持ちの揺らぎを表しているようなフレーズが続く。私は10秒ほどのこのイントロで、主人公は雨の中にいる(それは現実問題として立っているのか、気持ちの上でなのか分からないが『主人公は雨の中』、そうとしか言い表せなかった)、絶え間なく雨がしとしとと降り続いている、そんな情景を思い浮かべた。
『雨の交差点の奥に もうすぐ君が見えなくなる
おまけのような愛しさで 呼び止めても
傘を叩く音で 届かないだろう』
やはり雨の中にいた。しかも交差点だ。
この曲は別れの曲である。交差点では、今まで出会った人が行き交っているのかもしれない。見知らぬ人かもしれない。
君と僕の思い出が行き交っているのかもしれない。
愛する人に対する様々な想い、葛藤が行き交っているのかもしれない。雲行きは怪しい。
私がこの曲で特に好きな一節がある。
『おまけのような愛しさ』。
おまけ?そんな取って付けたような容易い気持ちなのか?
聞き込んでいるうちにそうではないのではないかと思った。
おまけというのは、例えばお菓子についているおまけでも、それ自体がとても価値のあるものになって、手に入れたい時に限ってなかなか難しい時がある。
愛しさまで感じているおまけが自分の元から離れていってしまう悲しさが、この歌詞に込められていると思う。
サビ前で「好きな人を呼び止めたい」という気持ちのこもったドラムも入り、サビではストリングスも重なって一気に気持ちが溢れだす。どしゃ降りだ。
『終わったのさ ただ 君と僕の話が
エンドロールは無い あるのは痛みだけ』
映画を見終わった時に、余韻を楽しむようにテーマ曲を背景にエンドロールが流れる。そんな楽しみさえなく、僕と君の話は終わってしまい、痛みしか残らないのだ。
実際、人との別れは、全てが割り切れてすっきりするものばかりではない。思わぬところで糸が綻んでしまう関係だってある。そんなことを思い起こさせてくれた。
『ついに呆れられるまで 直らないほど馬鹿なのに
君に嫌われた後で 僕は僕を好きでいられるほど 阿呆じゃなかった』
馬鹿なのに阿呆ではない。
自虐的な言葉遣いだが、こういった言葉の運び方のセンスは本当に目を見張るばかりだ。
悪い癖を直せず僕は君に嫌われ、それだけに止まらず僕は僕自身からも嫌われてしまった。自己嫌悪の嵐だ。
とても悲しい現実が淡々と紡がれていく。
『今となれば ただ ありきたりなお話
言葉にはできない そう思っていたのに
終わったのさ ただ 君と僕の話が
エンドロールは無い あるのは痛みだけ』
この場面は2番のサビに当たるが、この曲はメンバーの感情移入の度合いがとても高い曲だと思う。ボーカルだけでなく、ベースとドラムの2人も曲が進むにつれ顔を歪ませながら(そこがファンとしてはかっこよい場面でもあるのだが)、演奏に自分の表現を染み渡らせていく。そんな姿に、見ている私も心が揺さぶられ泣きそうになってしまう。
『どうして ああ どうしてだろう
もとから形を持たないのに
ああ 心が ああ 繋がりが 壊れるのは』
形のない「心」や「繋がり」が「壊れる」という表現。
目に見えないものもまるで形があるものだと言わんばかりだ。
一度築いて強固なものとなった人と人とのふれあいを無かったことになどできない。心や繋がりを大切なものとして扱って、歌にしてくれていることが感じられて、この部分の歌詞も大好きだ。
間奏こそ今回のライブ映像ならではの秀逸な場面だ。
今まで募ったメンバーの想いがここに集約されているといっても過言ではない。歌と歌の間に全く気持ちを切らすことなく、むしろラストに向けて、演奏も表情もピークに向かっている。
ただの「繋ぎ」などではなくここだけを何度も見返してしまうくらい大好きなシーンである。
そしてサビのフレーズを静かに歌い上げる。
『君が触れたもの 全部が優しく思えた
例外は僕だけ もう君は見えない』
この曲は一曲を通して色々な感覚を使って聴く曲だと個人的には思っている。
冒頭からの雨の場面で視覚と聴覚、「交差点」では場所が分かったことにより匂いが感じられる。そして「痛み」は心の触覚。
この場面は『触れる』『思えた』『見えない』まさに感覚のオンパレードで、君との出会いから別れまでを思い起こし丸ごと味わっているような気分に駆られる。
そして最後のサビ。
何度も「痛み」という歌詞を繰り返すので、正直なところ少々傷を抉られるような気分になるが、『ありきたりなお話』と言い聞かせながらも実は一つ一つありきたりなお話なんじゃなくて、一回ずつ真に受けて、大泣きしていいんだよとこの曲は投げかけてくれていると感じた。
そして、何度も何度も思いを巡らせて、徐々に受け入れて昇華していけばいいんだよと言ってくれている気がした。
この曲は、人との別れでもやもやしていた気持ちを洗い流してくれる。
アウトロでイントロとにたようなフレーズが出てくるのだが、どこからか日が射して晴れ間が覗いている、雨上がりのようなすっきりとした余韻で終わる。
最後のピアノで雫が弾けて、歩みを止めていた自分から少し前に進めそうな気がした。
私は日頃からback numberの楽曲に助けられて生きている。
つらいことがあっても、挫けそうな時もback numberに出会えた事を誇りに思ってこれからも生きていこうと思う。
3月31日、昨年行われたNO MAGIC TOUR 2019の大阪城ホールでのライブ映像「雨と僕の話」がYouTubeで配信された。
今年に入って至るところで行動が自粛されている中、配信数日前に発売されたライブDVDを購入した私にとっても、一般の方とback numberの楽曲を広く共有できる機会となるとても嬉しい計らいだった。
「雨と僕の話」という曲は、back numberの最新アルバム「MAGIC」に収録されている一曲であり、シングルの表題曲にはなっていないためか、同じく配信されている「大不正解」「HAPPY BIRTHDAY」に比べると視聴回数が少ないが、とても聞き応えのある名曲だ。
イントロはピアノから始まる。
一発目の音を聞いた瞬間感じた。
「あ、もう雨が降っている。」
少しさみしいような、けれど水分が体に染み渡ってくるような優しさも兼ね備えた和音から始まる。
次はベースが入る。この曲のアングルはきっと伏し目がちで、地面に視線をさまよわせていたが、ベースの音の上行に沿って雨空を見上げているようなそんなイメージの音だ。
次はギターが入り、気持ちの揺らぎを表しているようなフレーズが続く。私は10秒ほどのこのイントロで、主人公は雨の中にいる(それは現実問題として立っているのか、気持ちの上でなのか分からないが『主人公は雨の中』、そうとしか言い表せなかった)、絶え間なく雨がしとしとと降り続いている、そんな情景を思い浮かべた。
『雨の交差点の奥に もうすぐ君が見えなくなる
おまけのような愛しさで 呼び止めても
傘を叩く音で 届かないだろう』
やはり雨の中にいた。しかも交差点だ。
この曲は別れの曲である。交差点では、今まで出会った人が行き交っているのかもしれない。見知らぬ人かもしれない。
君と僕の思い出が行き交っているのかもしれない。
愛する人に対する様々な想い、葛藤が行き交っているのかもしれない。雲行きは怪しい。
私がこの曲で特に好きな一節がある。
『おまけのような愛しさ』。
おまけ?そんな取って付けたような容易い気持ちなのか?
聞き込んでいるうちにそうではないのではないかと思った。
おまけというのは、例えばお菓子についているおまけでも、それ自体がとても価値のあるものになって、手に入れたい時に限ってなかなか難しい時がある。
愛しさまで感じているおまけが自分の元から離れていってしまう悲しさが、この歌詞に込められていると思う。
サビ前で「好きな人を呼び止めたい」という気持ちのこもったドラムも入り、サビではストリングスも重なって一気に気持ちが溢れだす。どしゃ降りだ。
『終わったのさ ただ 君と僕の話が
エンドロールは無い あるのは痛みだけ』
映画を見終わった時に、余韻を楽しむようにテーマ曲を背景にエンドロールが流れる。そんな楽しみさえなく、僕と君の話は終わってしまい、痛みしか残らないのだ。
実際、人との別れは、全てが割り切れてすっきりするものばかりではない。思わぬところで糸が綻んでしまう関係だってある。そんなことを思い起こさせてくれた。
『ついに呆れられるまで 直らないほど馬鹿なのに
君に嫌われた後で 僕は僕を好きでいられるほど 阿呆じゃなかった』
馬鹿なのに阿呆ではない。
自虐的な言葉遣いだが、こういった言葉の運び方のセンスは本当に目を見張るばかりだ。
悪い癖を直せず僕は君に嫌われ、それだけに止まらず僕は僕自身からも嫌われてしまった。自己嫌悪の嵐だ。
とても悲しい現実が淡々と紡がれていく。
『今となれば ただ ありきたりなお話
言葉にはできない そう思っていたのに
終わったのさ ただ 君と僕の話が
エンドロールは無い あるのは痛みだけ』
この場面は2番のサビに当たるが、この曲はメンバーの感情移入の度合いがとても高い曲だと思う。ボーカルだけでなく、ベースとドラムの2人も曲が進むにつれ顔を歪ませながら(そこがファンとしてはかっこよい場面でもあるのだが)、演奏に自分の表現を染み渡らせていく。そんな姿に、見ている私も心が揺さぶられ泣きそうになってしまう。
『どうして ああ どうしてだろう
もとから形を持たないのに
ああ 心が ああ 繋がりが 壊れるのは』
形のない「心」や「繋がり」が「壊れる」という表現。
目に見えないものもまるで形があるものだと言わんばかりだ。
一度築いて強固なものとなった人と人とのふれあいを無かったことになどできない。心や繋がりを大切なものとして扱って、歌にしてくれていることが感じられて、この部分の歌詞も大好きだ。
間奏こそ今回のライブ映像ならではの秀逸な場面だ。
今まで募ったメンバーの想いがここに集約されているといっても過言ではない。歌と歌の間に全く気持ちを切らすことなく、むしろラストに向けて、演奏も表情もピークに向かっている。
ただの「繋ぎ」などではなくここだけを何度も見返してしまうくらい大好きなシーンである。
そしてサビのフレーズを静かに歌い上げる。
『君が触れたもの 全部が優しく思えた
例外は僕だけ もう君は見えない』
この曲は一曲を通して色々な感覚を使って聴く曲だと個人的には思っている。
冒頭からの雨の場面で視覚と聴覚、「交差点」では場所が分かったことにより匂いが感じられる。そして「痛み」は心の触覚。
この場面は『触れる』『思えた』『見えない』まさに感覚のオンパレードで、君との出会いから別れまでを思い起こし丸ごと味わっているような気分に駆られる。
そして最後のサビ。
何度も「痛み」という歌詞を繰り返すので、正直なところ少々傷を抉られるような気分になるが、『ありきたりなお話』と言い聞かせながらも実は一つ一つありきたりなお話なんじゃなくて、一回ずつ真に受けて、大泣きしていいんだよとこの曲は投げかけてくれていると感じた。
そして、何度も何度も思いを巡らせて、徐々に受け入れて昇華していけばいいんだよと言ってくれている気がした。
この曲は、人との別れでもやもやしていた気持ちを洗い流してくれる。
アウトロでイントロとにたようなフレーズが出てくるのだが、どこからか日が射して晴れ間が覗いている、雨上がりのようなすっきりとした余韻で終わる。
最後のピアノで雫が弾けて、歩みを止めていた自分から少し前に進めそうな気がした。
私は日頃からback numberの楽曲に助けられて生きている。
つらいことがあっても、挫けそうな時もback numberに出会えた事を誇りに思ってこれからも生きていこうと思う。
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