俺の耳はイカれてしまったのだろうか?
ザ・ビートルズ《ヘイ・ジュード》の〝ナナナ〟が〝ダダダ〟にしか聴こえない件
2020年6月15日
8
ビートルズのファンになって、かれこれ四半世紀になるが、最近気づいたことがある。
ビートルズ不朽の名曲、ポール・マッカートニー作《ヘイ・ジュード》の後半リフレイン部分。ソロライブでも必ずと言っていい程演奏され、決まって大合唱を巻き起こすハイライト的パートだが、その部分の歌詞を、俺はずっと〝ダダダ〟だと思っていたが、本当は〝ナナナ〟だったらしい。先週それに気がついた。
何気に歌詞カードを見ていた時の事だ。
そこには〝Da, da, da,〟ではなく〝Na, na, na,〟と書いてあるではないか。
おかしい…。ビートルズにハマった中学生の頃、歌詞カードなんて当然見ていたはずだ。
なのになぜ俺は、今の今まで〝ダダダ〟だと思い込んでいたんだ?
俺は一瞬怖くなったが、それがわかった上で、今一度《ヘイ・ジュード》を聴いてみた。
結果は…
やっぱり〝ダダダ〟と言っている!
いや、言っているのではない。〝ダダダ〟にしか聴こえないのだ。
何度聴き直しても、俺の耳には最早〝ダダダ〟以外には聴こえてこないのである。
「俺の耳はイカれてしまったのだろうか?」
そう思うほかないじゃないか。
だって歌詞カードには〝Na, na, na,〟って書いてあるんだもの。
いや、待てよ?
はは〜ん、わかったぞ。滑舌だな?
コイツら揃いも揃って、滑舌が悪いんだな?
…などと伝説的バンドに暴言を吐きそうにもなったが、公式な歌詞カードに〝Na, na, na,〟と書いてあるんだから、やっぱり〝ナナナ〟が正解なんだろう。
そう思う事にして、その日は眠りについたのである。
数日後、「ベンチャーズ ジャパン・ツアー 2020」という告知を目にした。
と同時に《青春デンデケデケデケ》という作品(芦原すなおの小説。またはそれを原作とした映画)を思い出した。
1960年代、田舎の高校生がベンチャーズのエレキサウンドに衝撃を受け、友達を誘ってロックバンドを結成するという青春群像劇だ。
ベンチャーズを少しでも知っている人や、ギターが弾ける人ならば説明不要かもしれないが、この「デンデケデケデケ」とは、ベンチャーズの代表曲《パイプライン》等で聴く事の出来るギターの奏法、トレモロ・グリッサンド奏法の音を文字で表した、いわゆる擬音である。
だが、このベンチャーズのトレモロ・グリッサンド奏法の音、一般的には「テケテケ」と言われている。実際、リアルタイムで聴いていた人もそう言われた方がピンとくると思うし、俺自身も「テケテケ」と聴こえる。
「ハッ!」
この時、俺はある事に気がついた。
「もしかして、例のアレも!?」
そう、例のヤツだ。
ビートルズ《ヘイ・ジュード》の〝ナナナ〟が〝ダダダ〟にしか聴こえないヤツだ。
《青春デンデケデケデケ》の作者、芦原すなお先生は1949年生まれだから、きっとベンチャーズやビートルズが全盛期だった1960年代に青春期を過ごしている。
先生よりだいぶ後に生まれた俺の青春期には、もっと破壊的に歪んだディストーションや、バッキバキにコンプのかかった音圧のギターサウンドが当たり前のように溢れていたから、最早ベンチャーズのギターの音は「テケテケ」という情けない音にしか聴こえないのではないか。
芦原先生はおそらく、ベンチャーズの音を始めて聴いた時に強い衝撃を受けたあまり、その「テケテケ」という音に脳が勝手に「濁点」をつけて変換してしまったのではないだろうか。
俺だってそうだ。
ビートルズの《ヘイ・ジュード》を始めて聴いた時、とてつもない衝撃を受けた。
7分を超える比較的長尺な曲だが、その7分の半分以上はこの合唱リフレインにあてられている。そのなんと逞しく壮大な事か。
「時代に合わせる」とか「時代の最先端」という言葉があるが、なんというか、ビートルズはこの時紛れもなく「時代そのもの」だったのだという事を、自他共に証明するかのような圧倒的エネルギーを感じた。
その衝撃によって、俺の脳は〝ナナナ〟に濁点をつけ〝ダダダ〟と変換して今日まで至らせてしまったのではないだろうか。
すごいぜ、ポール…
あぁ、ポール。あなたはどうしてポールなの…?
「人は衝撃的な音楽を聴いた時、鳴っている音に濁点をつけて変換してしまう…」
もしかしたら、俺はとんでもない発見をしてしまったのかもしれない。
ノーベル 、、、何賞かはわからないが、おそらく何かしらの賞はもらえるだろう。
授賞式には是非参加したいので、今年の12月はスウェーデンに行けるよう、今のうちから家族、職場には根回しして都合がつけられるよう尽力するとしよう。
ノーベル○○賞の授賞式、スウェーデンはストックホルムのコンサートホールで、俺は現地スタッフをあごで使って用意させたグランドピアノを弾きながら、ビートルズの《ヘイ・ジュード》を熱唱…いや、絶唱する事になるだろう。そして観客総立ちの大シンガロングが巻き起こるのさ。
だが、その時も俺は〝ナナナ〟ではなく〝ダダダ〟と歌うだろう。
俺の頭の中の《ヘイ・ジュード》には、あの日の衝撃が刻まれたまま、今までも、そしてこれからも、永遠に消える事のない濁点がついているのだから。
ビートルズ不朽の名曲、ポール・マッカートニー作《ヘイ・ジュード》の後半リフレイン部分。ソロライブでも必ずと言っていい程演奏され、決まって大合唱を巻き起こすハイライト的パートだが、その部分の歌詞を、俺はずっと〝ダダダ〟だと思っていたが、本当は〝ナナナ〟だったらしい。先週それに気がついた。
何気に歌詞カードを見ていた時の事だ。
そこには〝Da, da, da,〟ではなく〝Na, na, na,〟と書いてあるではないか。
おかしい…。ビートルズにハマった中学生の頃、歌詞カードなんて当然見ていたはずだ。
なのになぜ俺は、今の今まで〝ダダダ〟だと思い込んでいたんだ?
俺は一瞬怖くなったが、それがわかった上で、今一度《ヘイ・ジュード》を聴いてみた。
結果は…
やっぱり〝ダダダ〟と言っている!
いや、言っているのではない。〝ダダダ〟にしか聴こえないのだ。
何度聴き直しても、俺の耳には最早〝ダダダ〟以外には聴こえてこないのである。
「俺の耳はイカれてしまったのだろうか?」
そう思うほかないじゃないか。
だって歌詞カードには〝Na, na, na,〟って書いてあるんだもの。
いや、待てよ?
はは〜ん、わかったぞ。滑舌だな?
コイツら揃いも揃って、滑舌が悪いんだな?
…などと伝説的バンドに暴言を吐きそうにもなったが、公式な歌詞カードに〝Na, na, na,〟と書いてあるんだから、やっぱり〝ナナナ〟が正解なんだろう。
そう思う事にして、その日は眠りについたのである。
数日後、「ベンチャーズ ジャパン・ツアー 2020」という告知を目にした。
と同時に《青春デンデケデケデケ》という作品(芦原すなおの小説。またはそれを原作とした映画)を思い出した。
1960年代、田舎の高校生がベンチャーズのエレキサウンドに衝撃を受け、友達を誘ってロックバンドを結成するという青春群像劇だ。
ベンチャーズを少しでも知っている人や、ギターが弾ける人ならば説明不要かもしれないが、この「デンデケデケデケ」とは、ベンチャーズの代表曲《パイプライン》等で聴く事の出来るギターの奏法、トレモロ・グリッサンド奏法の音を文字で表した、いわゆる擬音である。
だが、このベンチャーズのトレモロ・グリッサンド奏法の音、一般的には「テケテケ」と言われている。実際、リアルタイムで聴いていた人もそう言われた方がピンとくると思うし、俺自身も「テケテケ」と聴こえる。
「ハッ!」
この時、俺はある事に気がついた。
「もしかして、例のアレも!?」
そう、例のヤツだ。
ビートルズ《ヘイ・ジュード》の〝ナナナ〟が〝ダダダ〟にしか聴こえないヤツだ。
《青春デンデケデケデケ》の作者、芦原すなお先生は1949年生まれだから、きっとベンチャーズやビートルズが全盛期だった1960年代に青春期を過ごしている。
先生よりだいぶ後に生まれた俺の青春期には、もっと破壊的に歪んだディストーションや、バッキバキにコンプのかかった音圧のギターサウンドが当たり前のように溢れていたから、最早ベンチャーズのギターの音は「テケテケ」という情けない音にしか聴こえないのではないか。
芦原先生はおそらく、ベンチャーズの音を始めて聴いた時に強い衝撃を受けたあまり、その「テケテケ」という音に脳が勝手に「濁点」をつけて変換してしまったのではないだろうか。
俺だってそうだ。
ビートルズの《ヘイ・ジュード》を始めて聴いた時、とてつもない衝撃を受けた。
7分を超える比較的長尺な曲だが、その7分の半分以上はこの合唱リフレインにあてられている。そのなんと逞しく壮大な事か。
「時代に合わせる」とか「時代の最先端」という言葉があるが、なんというか、ビートルズはこの時紛れもなく「時代そのもの」だったのだという事を、自他共に証明するかのような圧倒的エネルギーを感じた。
その衝撃によって、俺の脳は〝ナナナ〟に濁点をつけ〝ダダダ〟と変換して今日まで至らせてしまったのではないだろうか。
すごいぜ、ポール…
あぁ、ポール。あなたはどうしてポールなの…?
「人は衝撃的な音楽を聴いた時、鳴っている音に濁点をつけて変換してしまう…」
もしかしたら、俺はとんでもない発見をしてしまったのかもしれない。
ノーベル 、、、何賞かはわからないが、おそらく何かしらの賞はもらえるだろう。
授賞式には是非参加したいので、今年の12月はスウェーデンに行けるよう、今のうちから家族、職場には根回しして都合がつけられるよう尽力するとしよう。
ノーベル○○賞の授賞式、スウェーデンはストックホルムのコンサートホールで、俺は現地スタッフをあごで使って用意させたグランドピアノを弾きながら、ビートルズの《ヘイ・ジュード》を熱唱…いや、絶唱する事になるだろう。そして観客総立ちの大シンガロングが巻き起こるのさ。
だが、その時も俺は〝ナナナ〟ではなく〝ダダダ〟と歌うだろう。
俺の頭の中の《ヘイ・ジュード》には、あの日の衝撃が刻まれたまま、今までも、そしてこれからも、永遠に消える事のない濁点がついているのだから。
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