愛してくれと叫べ
愛し愛されたいと願う、私とサンボマスター
2020年6月18日
10
人生はままならない。
私が精一杯頑張って手に入れたものを、手慰みのお遊びで超えていく人がいる。
私が欲しくて欲しくてたまらなかったものを、当たり前みたいに持っている人がいる。
それなのに、「羨ましい」と叫ぶことは、いけないことだと人は言う。はしたないことだと人は言う。
じゃあ、一体、この気持ちはどうすればいい?
胸の奥に押し込めようとしたって、ちっとも大人しくなってくれやしない。諦めて見ないふりをしようとしたって、「こっちを見てよ!」と喚き散らす、この気持ちをどうすればいい?
叫べばいい!
なんの躊躇いもなくそう言ってくれるのは、いつだってロックンロールだった。
私が飲み込んだ言葉を、代わりに叫んでくれるのは、いつだってロックンロールだった。
サンボマスターの音楽は、私にとってそういうものだ。
私は、彼ら以上にストレートに愛を歌い、愛を乞うバンドを他に知らない。
「愛してる愛して欲しい」ー『愛してる愛して欲しい』
「アイ ラブ ユー 君」「ユー ラブ ミー 僕」ー『I Love You』
彼らの楽曲を聴いていると、人間には愛が必要なのだという当たり前のことを思い出す。
そうして、愛が必要なら、欲しいと言えばいいのだということも。
愛することは簡単だ。愛する主体は自分だから。だから、「愛してくれ」と言うよりも、「愛してる」と言うことの方が簡単なのだ。
だけど、私は、私たちは、誰だって愛されたい生き物なのだ。
ならば、求めればいいのだ。だって、私たちには愛が必要なのだから。
愛が欲しいと叫べばいい。真っ暗な世界を変えるために、愛が欲しいと叫べばいい。サンボマスターのように。
馬鹿みたいに卑屈な私は、一方でこうも思う。
叫んでどうなる。
私が叫んだところで、世界は変わらない。
そう、ロックンロールで世界は変わらない。変わりやしないのだ。
だけど。だけど、だけど!
悲しくて泣いた日、評価されなくて泣いた日、愛されたくて泣いた日、音楽を知らなかった私は、ひとりぼっちだった。
だけど今は、ロックンロールがそばにいてくれる。
それが全てなのだ。
だから人よ、叫べ。
愛してると叫べ。そして愛を乞え。
愛してくれと叫べ!
私が精一杯頑張って手に入れたものを、手慰みのお遊びで超えていく人がいる。
私が欲しくて欲しくてたまらなかったものを、当たり前みたいに持っている人がいる。
それなのに、「羨ましい」と叫ぶことは、いけないことだと人は言う。はしたないことだと人は言う。
じゃあ、一体、この気持ちはどうすればいい?
胸の奥に押し込めようとしたって、ちっとも大人しくなってくれやしない。諦めて見ないふりをしようとしたって、「こっちを見てよ!」と喚き散らす、この気持ちをどうすればいい?
叫べばいい!
なんの躊躇いもなくそう言ってくれるのは、いつだってロックンロールだった。
私が飲み込んだ言葉を、代わりに叫んでくれるのは、いつだってロックンロールだった。
サンボマスターの音楽は、私にとってそういうものだ。
私は、彼ら以上にストレートに愛を歌い、愛を乞うバンドを他に知らない。
「愛してる愛して欲しい」ー『愛してる愛して欲しい』
「アイ ラブ ユー 君」「ユー ラブ ミー 僕」ー『I Love You』
彼らの楽曲を聴いていると、人間には愛が必要なのだという当たり前のことを思い出す。
そうして、愛が必要なら、欲しいと言えばいいのだということも。
愛することは簡単だ。愛する主体は自分だから。だから、「愛してくれ」と言うよりも、「愛してる」と言うことの方が簡単なのだ。
だけど、私は、私たちは、誰だって愛されたい生き物なのだ。
ならば、求めればいいのだ。だって、私たちには愛が必要なのだから。
愛が欲しいと叫べばいい。真っ暗な世界を変えるために、愛が欲しいと叫べばいい。サンボマスターのように。
馬鹿みたいに卑屈な私は、一方でこうも思う。
叫んでどうなる。
私が叫んだところで、世界は変わらない。
そう、ロックンロールで世界は変わらない。変わりやしないのだ。
だけど。だけど、だけど!
悲しくて泣いた日、評価されなくて泣いた日、愛されたくて泣いた日、音楽を知らなかった私は、ひとりぼっちだった。
だけど今は、ロックンロールがそばにいてくれる。
それが全てなのだ。
だから人よ、叫べ。
愛してると叫べ。そして愛を乞え。
愛してくれと叫べ!
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