4121 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

大森靖子「シンガーソングライター」の衝撃

「共感」の中で無視される「些細な感情」とは?

大森靖子のニューシングル「シンガーソングライター」が発表された。
この曲の歌詞では、
「お前に刺さる歌なんかは 絶対かきたくないんだ」
「共感こそ些細な感情を無視して殺すから」
「刺さる音楽なんて聴くな おまえのことは歌ってない」
「救いたい おまえじゃなかった」
と物騒な言葉が並ぶ。
ここだけでなく、刺激的な言葉のオンパレードである。
聴く方は緊張を強いられる。これは自分に向けられた言葉なのかと。

 今回は、多くのファンにとって衝撃的であったと思われるこの曲を取り上げてみたい。
 既にこの曲は、インターネットでは様々な解釈や感想が掲載されており、肯けるものも沢山ある。この文章は、これが正しいというつもりではなくて、様々な解釈の一つと思って読んでもらえればと思う。
 また、7月29日に「RealSound」のホームページに『大森靖子が語る、“考える”ことの重要性 新曲「シンガーソングライター」に込められた真意』という、本人のインタビュー記事が掲載されており、それに尽きるといえば尽きるのだが、ファンがそれぞれの解釈を発表するのも意味があるのではと思って書いてみたい。
 この曲が描く光景とテーマはとても広く深く、本来取り上げるべきテーマも多岐にわたるはずである。「RealSound」のインタビューによれば、曲ができたのはコロナ禍以前のようだが、コロナ禍があって、新しい意味が加わっている。普遍性を持つ曲だからこそ、これからも新たな意味が加わっていくのではないか。
 ただ、今回は、リスナーに向けた言葉の問題に絞って考えてみたい。

 リスナーに向けて強い言葉を出してきた理由として考えられることの一つとして、これまでの曲でもっと控えめな言葉で表現してきたのだが、人によっては正確に伝わらなかったためということがあるかもしれない。名曲の数々が多くの人の「共感」を呼ぶ中で、その曲が持つ複雑な構造、「些細な感情」がいくつも絡み合った文脈までが、全員には伝わり切れないということがあったのではないか。

 その例として、先ほど触れた「RealSound」のインタビューを引用させてほしい。
Q「聴いた人がそれぞれに思いを持って共感していくけど、それを大森さんは
 マジックミラーだって言っている。ファンの人ってその構造に気づいていま
 すか。」
A「気づいていない人はいると思います。『あたしの有名は君の孤独のために
 だけ光るよ』って言ったじゃんって言うんですよ。でも、こっちは「タイト
 ル『マジックミラー』だけど?」って思うじゃないですか。だけど、ライブ
 に来てる人はさすがにわかるんじゃないですかね。」
 この曲が共感を得る際に、ミラーがマジックミラー(明るい側からは鏡に見えるが、暗い側からは向こう側が見える。)であることが些細な事として見過ごされ、捨象されてしまうことへの違和感が示されていると思う。

 これ以外のどの曲で、大森靖子が、共感の中で忘れられがちな言葉があると考えているかはわからない。ここで自分ができることは、それを推理することではなく、歌詞の中にその言葉があることの自分にとっての個人的な大切さを書くことである。そのことで、大森靖子の歌詞の言葉はひとつひとつがいかに選び抜かれたものであり、共感の中で無視されてはいけない言葉であることを示せればいいなと思っている。

 例えば「VOID」という曲がある。この曲には、生きづらさを感じている男の子と女の子が出てくる。この2人は傷つきやすい似た者同士でお互い一緒に過ごすことで、短い時間だけでも、お互いが感じているつらさを少しでも減らすことができるかもしれないという、絶望が転じた希望の歌だと思う。だけど、それは一緒にいてお互いが自分のことばかり考えていたのではうまくいかない、却って傷つけあうだけになってしまうかもしれない。お互いの思いやりが必要なのだと思う。その思いやりの例として描かれているのが「逃げるの下手な君」のために「特別ルール」を用意するとか、「笑わなくっても余裕で天使さ」と相手を許容することである。もちろん「笑わなくっても余裕で天使さ」の代わりに「もう一度笑顔を見せて」と歌う歌があってもいいと思う。ただ、この曲は違う。そして、共感の中でその違いが捨象されてしまうとしたら、この曲の魅力の一つが見落とされてしまうのではないか。

 「非国民的ヒーロー」では、模範的な国民でなくても、今は「いよいよ惨め」であっても、「愛する気持ちだけでも 折れずに生きて」いれば、そして「一つのミスで全てを否定されても怯」まなければヒーローになれると歌っている。この曲が共感を得る際に、「愛する気持ちだけでも折れずに生きて」いること、「ひとつのミスで全てを否定されても怯」まないことが捨象されてしまうと意味が変わってしまう。特に、「愛する気持ちだけでも 折れずに生き」ることは、別の言い方をすれば、優しさとか、弱者への思いやりを持ち続けることだと思う。「いよいよ惨め」であっても、いやだからこそ、自分の加虐性に気付けるはずだし、だからこそ、「愛する気持ちだけでも折れずに 生き」られるし、そうやって生きようというメッセージが含まれているのだと思う。

 以上、一つ一つの言葉の魅力について書いてみたが、ここで、「VIOD」や「非国民的ヒーロー」の歌詞について考えながら思いついた、少し乱暴かもしれない意見を言ってみたい。大森靖子はこれまでも、自分が人を傷つけているのではないかと、自分を疑うことなく苦しむこともなく、自分が他の人を守るため何ができるかとは考えず、自分こそ守られるべき弱者だと思っている人たち、今の自分に安住していて何も感じない人に対しては批判的だし、そのことを歌ってきたのではないか。だけど、それがなかなか伝わらずに、本当のファンではない人たちの間に、自分こそ大森靖子の歌によって守られるべきだと思っている鈍感な人が多いので、今回「シンガーソングライター」では、より明確な言葉を持ってきたのではないか。本当に苦しんでもいないのに、自分が人を傷つけていることには無自覚又は目をつぶり、自分が守られるべきだと思っている人は何かが違うのだと。

次に「シンガーソングライター」の歌詞を追ってみよう

「電車もビルもおわりの道具に見えたら ぼくも なんか 生きてるだけで 加害者だってわかった」
 生きてるだけで加害者だってことを少しでも多くの人が気づいてくれたら、世の中はきっともっと良くなるのだろうけど、自殺を考えるところまで追いつめられないと気づかないというのが現実なのかもしれない。

「狂ってたら 入場できない?むしろ割り引けよ」
 これも、現状でノウノウと生きられる方が何かおかしいのだ。狂いたくなるのが、むしろ正気と言うものだろう。

「正義の面こそ 知らぬが仏レイシスト」
 後で出てくるが、「悪意のない暴力が最も嫌い」なのであり、知らないこと、無自覚なことの怖さを言っているのではないか。

「言わないで 言わないで 今なんか うざいの耐えられないから」
 自分に何の疑いも持たない人ほど、よくしゃべる。携帯が「通信制限超え」るほどよくしゃべる。特にわからないことでも平気で決めつける「予言者」は前髪も話も「長すぎ」なのだろうか。

(少し話がそれるが、ここで思い出すのは、1989年のNEWEST MODELのメジャーデビュー曲「ソウル・サバイバーの逆襲」である。この曲の1番のサビは「おしゃべりは信じないよ 嘘のような気がする 巧みな言葉と金 さみしいネと近づく」、2番のサビは「あやまちが忘れられた 都合がいいから」である。同じようなテーマを歌った曲で、この曲も日本のロックの名曲だと思う。(30年前私はNEWEST MODELのファンだった。)
 このNEWEST MODEL(とその後継のSOUL FLOWER UNION)のトリビュートアルバムが2016年に発売されている。このアルバムで「ソウル・サバイバーの逆襲」をカバーしているのが、大森靖子である。当時のロッキング・オン・ジャパンのCDレビューでは、この大森靖子の「ソウル・サバイバーの逆襲」を「ヴォーカリストの個性により楽曲が別の形で魅力を放つもの」と表現しているが、とても素晴らしく、私は何回も繰り返し聞いている。)

 話を「シンガーソングライター」の歌詞に戻すと、
 自分に疑問を持たない人たちの「全てわかったと酔っている歌歌歌歌」に毒づき、「共感こそ些細な感情を無視して殺すから」そんな異論を許さないような音楽、「それっぽいうた」「全てわかっていると酔っている歌歌歌歌」に対してSTOP the MUSICと12回繰り返す。
 今「STOP the MUSIC」の対象が「歌歌歌歌」であると断定的に書いてしまったけれど、このSTOP the MUSICは、インタビューにもあるように、DON’T STOP the MUSICの反語的表現でもあるのだろう。あと、例えば「死神」で「やりつくしたかって西陽が責めてくる」と歌われたときに、それが「刺さって」STOP the MUSICと感じることだってあるという、音楽の真剣さを示す意味もあると思っている。

 そして、この曲は「救いたい おまえじゃなかった」という言葉で終わる。

 大森靖子は、最近7月まで毎日1曲計100曲を弾き語りで歌ってツイッターに投稿していたが、その中で弾き語りではないけれどすごい人気だったのが「スーパーBBA」という曲!。この中で、女性シンガーまとめサイトのようなところで書かれた自身への悪口を取り上げ、「病名を悪口にしてはいけない。」と言っていた(歌っていた、叫んでいた)が、全くそのとおりだ。しかも、書いた人間が大森靖子を嫌いならまだしも「超歌手」(2018年発行の本、著者:大森靖子、発行所:毎日新聞出版)(p123)によれば、「しかもその(まとめサイトを)つくった人が、べつに大森靖子好きだけどみたいなスタンスなのめちゃくちゃこわいよ。」とのことである。
 この「超歌手」の本の別のページ(P148)では、「悪意のない暴力が最も嫌いで、それに対しては、「わかれよ! 殴ってるってわかった上で殴れよ!」と思って徹底的に説明しますね」と書いている。自分の加虐性を自覚してほしいということを本気で願っているということだろう。

 大森靖子は、沢山の素晴らしい若いファンがいて、そうしたファンの様々な「些細な感情」を大切にしたコメントを読むと、温かい気持ちになれることが多い。一方で、それとは別に歌に込めた思いが伝わらない自称リスナーもいて、なかには、人を傷つけていることに無自覚な人もいるのかもしれない。普通のミュージシャンであれば、そうした人からでも支持を失うようなことは敢えてしないのかもしれないが、彼女は「徹底的に説明」しようとしているのではないか。例えそれがセールス的には不利かもしれなくても。それだけ真摯な人なのだと思う。このように真摯でかつ才能あふれるシンガーソングライターが今存在することは本当に素晴らしいことだと思う。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい