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310秒の映画と藤井 風の言葉で「帰ろう」という作品は完成する

言葉の力を再び信じるための背中を押されて

こんなもの、本当は軽々しくミュージックビデオなんて呼んではいけない。
それが藤井 風「帰ろう」のMVを見終わって、己の瞳いっぱいに涙を浮かべていた私が最初に抱いた感想だった。
たった5分10秒しかないその映像。
それはまぎれもなく、小さな小さな1つの映画だった。

ヒューマンドラマ、ラブストーリー、サスペンス、ホラー、アクション。
映画と呼ばれる映像作品には様々なジャンルがあるが、優れた作品には須らく物語の根底に明確なテーマがあると思っている。そのテーマをいかに多くの人々の心に強く訴えかけ、彼らの心に自分のものとして植え付けることができるか。良い映画と呼ばれる作品の条件の1つとして、これをクリアしているものが挙げられることも多いだろう。
そう言った意味では、この藤井 風の「帰ろう」のMVは非常に優秀な映画だと言っていい。なぜならアルバム「HELP EVER HURT NEVER」の初回限定盤まで購入しておきながら彼のアッパーな有名曲ばかり聞いており、「帰ろう」の歌詞をこれまでろくすっぽ見ていなかった私でさえ。この映像のテーマが、この楽曲のテーマが、「死」であるということが痛いほどに伝わってきたからだ。

それに気付いた要素はいくつかあるが、最も大きなポイントとなったのは動画全体にたくさん散りばめられた、印象的な“離れていく”描写だろう。冒頭のソファから“離れていく”人々、人々の集団からソファを押しながら“離れていく”藤井 風。アップになった繋がれた状態から“離れていく”誰かの手と手、たくさんの荷物を落としたまま“離れていく”人々。
車を運転していた老人との別れや、風船を手放した少年の描写も非常に分かりやすいが、そのシーンに辿り着くまでにすでにサブリミナル効果のように、たくさんの“離れていく”ものが描かれている。そしてその“離れていく”ものの描写に対して、対となるはずの“近づいていく”描写が、この映像には極端に少ないのだ。離れていった人々も、誰かの手と手も、落ちた荷物も、飛んで行った風船も。終ぞ再び繋がり、拾い上げられ、戻ってくることはなかった。それはつまり永遠に“離れていく”こと、人の死を連想させるにはあまりに容易い描写なのだ。

楽曲のMVには、様々な役目があると思う。とにかくアーティストの認知度を上げるため、目立つ映像で大衆の目を引く役目。あるいはアーティストが楽曲を演奏する姿を写し、彼らが生で曲を演奏するライブ感を伝える役目。そして楽曲の世界観やテーマを、より多くの人に伝える役目。
音楽というものそのものは、残念ながら目に見えないものだ。メロディや歌詞を情報として収集する場合、どうしても聴覚のみを頼ることになってしまう。せいぜい視覚に訴えかける方法は、平面に並ぶ歌詞の文字列ぐらいだろうか。けれどその中でもっとダイレクトに、楽曲のテーマやアーティストの魅力を伝えたい。そうなった場合に、人間の情報収集力の8割を担う視覚に絵や映像で訴えかける。そんな方法の1つが、楽曲のMVを制作するというものになる。
平面に並んだ文字や視覚で把握できない人の話し言葉は、やっぱり絵や映像に敵わない。普段言葉を操る事の多い私は、何度も何度もその壁にぶつかってきた。同じことを伝えようとしても、言葉や文章より絵や映像の方が何十倍も何百倍も、早く大勢の人に伝達できる力を持つことを痛い程身に染みて感じていた。のに。
この「帰ろう」のMVはその事実で、私を全力でぶん殴ってきた。文字や言葉では伝わらないと嘆いていた私自身すらも、これまで藤井 風の歌う歌詞になんか一瞥もくれずに、児玉裕一の映像によって曲のテーマに初めて気付いたのである。物理的に誰かに殴られたわけでもないのに、その事実に気付いてしまったことで私の右頬はじりじりと熱を持った。そして心臓の奥の方にある芯が、ゆっくりと音もなく冷えていくような心地がしたのだ。
 
言葉はやっぱり無力かもしれない。そう確かに思った。
けれど私に「帰ろう」という作品の真のテーマを教えてくれたのは、他でもない藤井 風自身の言葉だった。
 
この曲のテーマが「死」であることを明確に示唆した楽曲のMV。このMVは2020年9月現在の今130万回も再生され、曲に込められたテーマを多くの人に伝える役目を果たしている。しかしそのMVが公開された2日後に、藤井 風は自身の言葉でこの曲について、そしてこの曲のMVについて語った映像をYouTube上にUPしている。彼はその映像で、「帰ろう」という作品について英語でこう語っていた。

“この曲では自分にこう問いかけています
「幸せに死ぬためにはどう生きたらええの?」
わしはまだもがいています
だからまだ生きてます
だから、生きることを、もがくことを諦めんで下さい
きっと無事に、幸せに、安らかに帰れるから“

先日彼のインタビューが放送された報道ステーションでは、彼は自分のメッセージを“自分で伝えることにこだわっている”というナレーションが入れられていた。音楽番組や音楽雑誌のインタビューという、誰かをそこに介在させる形でなく。あくまでも全て、自分の意志や言葉を直接湾曲されることなく、ダイレクトに届ける事にこだわっている、ということだろう。飾り言葉なんか一切ない、受け手が受け取りやすくなるような修正や丁寧さもない。けれどそれは逆に言えば、彼が発信するテーマやメッセージに一切不純物が混ざっていないということだ。
言葉や文字は、確かに絵や映像に伝達の早さや幅広さには勝てないかもしれない。けれどそんな混じり気のない彼の言葉は、確かに私の心の一番深いところに突き刺さってきた。ああ、「帰ろう」という作品で、彼が本当に伝えたかったテーマはこれだったんだ、と。「死」というテーマだけではなく、「死」へ向かう中での「もがいている生」だったんだ、と。
彼の言葉は、絵や映像に比べて言葉や文字が勝るものをも教えてくれた。
それは、伝えたいことを明瞭に伝える力。
またそれによって他者に与えられる衝撃の強さは、絵や映像に勝るとも劣らないものだ、とも。
 
元々楽曲そのものの魅力があり、それがMVによって大勢の人に早く多く伝わり。さらに彼自身の言葉に回帰したことで楽曲の明言されていなかった魅力や、彼自身のアーティストとしての魅力がさらに増す。この「帰ろう」の楽曲とMVは、総合的に「帰ろう」という作品自体にそのような作用をもたらしている。
歌詞やメロディから構成される楽曲そのものと、音楽の世界観を深い理解を以て映像に落とし込んだMV。それぞれが独立した作品として素晴らしい物でありながらも。互いを補い合い生かし合っている。MVの公開、そして藤井 風自身の言葉を直接伝える動画をもってして、この「帰ろう」という作品は完成を見たように思う。
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