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宇多田ヒカル「嫉妬されるべき人生」に見る、記憶の相対化に向けて

私なりの震災の再構築

新型コロナウイルスの影響で混乱が続く中、今年も3月11日が過ぎた。あの日被災した妹も、今は結婚して子供を産み、関東平野の片隅でひそやかに暮らしている。震災について妹と話すことも少なくなったので、彼女の真意はわからない。彼女には彼女なりの苦闘があったことには間違いはない。彼女は当事者だからだ。ただ、私にとってこの8年間は、「何が苦しいのかわからないが、ただただ苦しい」年月だった。

私は、当事者の家族だ。あの震災との向き合い方に悩み続け、こうして8年が過ぎた。津波が迫るニュース映像、行方不明になった方々のカタカナの名前の羅列に妹の名前がないか探した日々は、今も鮮やかだ。

私は私でしかないのに、「当事者の家族としてどう生きるのが正しいのか」という問いにあがき続けていた。もちろんそこに答えはない。だからこそ、だれのアドバイスも届かない。

わかっている。人間の生き方は正しさでは測れないことを。わかっているのに、わからない。みんなどうやって決着をつけているの。あの日の、あの瞬間の苦しみとどうやって闘っているの。どうやったら打ち勝つことができるの。

そうやって私は、私の中に私がいない苦痛を誰とも分かち合えないまま生活を続けていた。あの日津波でさらっていったのはそう、私の心だったのです、なんて呟きながら。
 
【母は、呪縛ではない。】

人の期待に応えるだけの 生き方はもうやめる
母の遺影に供える花を 替えながら思う
-宇多田ヒカル『嫉妬されるべき人生』

宇多田ヒカル(以下、宇多田)は、前作『Fantôme』、中でも『道』『花束を君に』『桜流し』でかなり直接的に母の死とその影響を描いていた。そのプロセスの過酷さを思うと胸が詰まったし、出来上がった作品の完成度に舌を巻いたりもした。

そしてこのアルバム『初恋』だ。特にラストの『嫉妬されるべき人生』の圧巻なエンドロールっぷり。まるで人生の幕引きのような世界観だ。

しかしどうにも違和感だらけの曲だった。深遠なサウンドはまさに「永遠の愛」を象徴していると思ったがしかし、この歌詞だ。「人の期待に応えるだけの生き方」というのは、宇多田自身の人生を通じて得た実感でもあっただろうし、彼女の「人間活動」を振り返って改めて思ったことだったのかもしれない。

ただ問題はその次だ。「母の遺影に供える花を 替えながら思う」。どうだろう。この「人の期待に応えるだけの生き方」をしていたのは、他でもない母の藤圭子ではなかったか。

もう亡き母を、消費される存在と自己の揺れに苦しんだ母を尊重するからこそ、きれいな姿だけ求められる花と重ね合わせて、私は私の行く道を自分で決めると宣言する。これは母と自分を相対化した、まさにその瞬間を描いたのではないだろうか。

宇多田にとって、母は呪縛ではない。失礼なことに、私はそんなことをこの歌が教えてくれるまで、全く気付かずにいたのだ。私にとって震災が今も呪縛で、振りほどくことも向き合うこともできずにもがいているように、宇多田も母との関係性に苦しみながら、吐き出すように音楽を紡いでいるのかとばかり、勝手に私自身の状況を託してしまっていた。

歌詞がすべて事実に基づいているかどうかなんて、楽曲を評価する上においてどうでもいい話だと思うし、たとえ発端は事実だったとしても、パーソナルさが増せば増すほど、同時にフィクション性も増していくものですからね。
-『初恋』インタビュー 宇多田ヒカルが語る、“二度目の初恋”
「すべての物事は始まりでもあり終わりでもある」

そうだった。宇多田は、パーソナルな出来事の中に普遍性を見出し、歌を編み出していくことを得意とするアーティストだったのだ。だからこそ私はこの楽曲の中に、震災の記憶に引きずられる自分を見出し、勝手に苦しみ勝手に救われていたのだ。

そして、呪縛から解き放たれ、自分の人生を自分の足で歩んでいる実感を取り戻すためには、呪縛の対象と自分を相対化する作業が必要なのだろう。

自分の中で「これはもう自分の人生を自分で生きてるわ」と思う瞬間、それは宇多田のように、対象を相対化できることなんじゃないかと思う。私はまだまだだ。「あの時死んでいたかもしれない妹、そしてありえた死の瞬間」を思うと、心がフリーズして何にもできない。これは呪縛以外の何物でもない。

でも宇多田の音楽で救われるのは、相対化の手法は自分で探さなくちゃいけないのだが、きっとやればできると教えてくれたことなのかもしれない。
 
【嫉妬される「べき」人生とは】

ただ、まだ疑問は残っている。タイトルの『嫉妬されるべき人生』。この言葉遣いの微妙なニュアンスが気になった。そんな、嫉妬って、誰に嫉妬されているの?そもそもなんで、嫉妬なんて含みのある言葉を使うの?と。

誰もが羨むような、他人から嫉妬されるべき人生。宇多田の生き方として、自分の人生に「他者からの評価」を取り入れる姿なんて見たことがなかった。そんなこと、全く気にしない人なのだと思っていた。

それに「べき」ってなんだ、「べき」って。「嫉妬されるべき」という言葉そのものに、もう物語が潜んでいる。そしてそれがどんな物語なのか気になってしまい、しばらく頭を悩ませることになった。

私なりの答えにたどり着いたのは、娘とカラオケに行ってこの曲を歌った時のことだった。この曲、素人なりに歌ってみるとよくわかるのだが、藤圭子の曲調にかなり近い気がするのだ。彼女に歌い方を寄せるとかなりそれっぽくなる。歌詞やメロディの壮絶さも、荘厳な編曲も、藤圭子にピッタリだ。

もしかして、と考えると、歌いながら心拍数が上昇していくのがわかる。ひとつ、ある可能性に思い当たった。

この『嫉妬されるべき人生』は、藤圭子への楽曲提供のつもりで制作されたものではないだろうか、と。

ある媒体のインタビューで宇多田は、「死をもって完結するラブソング」をテーマにこの曲を制作したと語っている。人生の終わりを振り返り、私の人生はあなたと出会えて非常に幸福だった、という内容だ。

歌詞をそのまま読めばまさにその通りだ。ただ私は、あの小さなカラオケボックスの一室でたどり着いた答えからまだ離れられずにいる。

もしこの歌詞が藤圭子のことを思ったものなのだとすれば、これは藤圭子が自身の人生を振り返り、私の人生は誰もが羨むような素晴らしいものでした、と薄く微笑みを浮かべている姿が目に浮かんでしまう。

宇多田自身を主体として、母を思った前アルバム収録曲の『道』『花束を君に』『桜流し』とはまたやり方が違う。これは宇多田が母の人生を解釈し、まるで母が歌ってきたようなメロディに乗せ、母の人生を自らの手で再構築したような楽曲になっているのだ。

宇多田が母を相対化する。それはつまり母への想いをただ歌に乗せるのではなく、自身のこれまでの楽曲制作人生で得た糧を使って、母を解釈し再構築することだったんだ。その可能性に思い当たって手が震えた。

『嫉妬されるべき人生』は藤圭子が歌ったっていい。むしろ、宇多田が藤圭子に楽曲提供しているようだ。そして、「私の母は嫉妬されるべき人生をしっかり生きたんです」という、宇多田のメッセージなのではないだろうか。

宇多田がインタビューなどで繰り返し伝え続ける、「パーソナルな経験の中に普遍性が宿る」というキーワード。彼女はこの『嫉妬されるべき人生』の中で、歌詞における対象の相対化と、メロディーによる対象の解釈、この双方を用いて、母、藤圭子を再構築している。このことは私の中で、かなり確信めいたものになってしまった。パーソナルな「母の死」を普遍性のある物語にするために、彼女が手に入れた手段の一つなのかもしれない。

『嫉妬されるべき人生』の「べき」とは何を指すんだろうと思っていたのだけど、これも「母と私の関係性や境遇は同情されるようなものではなく、素晴らしいものでした」という、宇多田によるメッセージの強さそのものの表現だったと思えば納得がいく。

これは母の尊厳を取り戻すための歌だ。「私の母は、誰からも嫉妬されるべき人生を生きました」という宣言だ。

そして本当はこんな歌を、母に歌ってほしかったのかもしれない。涙が止まらない。これはまさに藤圭子に「捧げた」歌だ。
 
【私なりの「震災の再構築」に向けて】

そうか、こうやって私は震災を、私なりに再構築して生きていけばいいのか。手の震えを、もう片方の手で包むように抱きしめる。この葛藤が解き放たれることはなくとも、また形を変えて、新たな関係性を築いていくことができるのかもしれない。そうやって一生付き合っていけばいいのだ。

誰かを励ますこともできず、募金もできず、己の傷をなめてばかりな自分が本当は大嫌いだった。私はいつまで自分のことに必死なんだろう。誰も助けられず、救う手も差し伸べられず、このまま人生が終わってしまうんだろうかと。

でもそれは見当違いだったことに気づいた。いいのだ、私は私であの震災を相対化する作業に集中し、どのように形を変えていくかを見守り続けていけばいい。そうやってできあがった代物は、記憶をもとに再構築したものになる。その作業は誰に見せることはなくとも、私を強くしてくれる。あわよくば美しい形になっているかもしれない。誰かを救うのは、きっとその道の先にいる自分がやることだ。今の私にはまだやるべきことが先にある。

集中してみせる。こんな時期だからこそ。人々の悲しみが鬱々と心にたまり、平気で水たまりを作ってしまいそうな状況だからこそ。私は、私の記憶を新たな形に変えてみせる。それをやってきたのが、宇多田ヒカルという人間だ。そして彼女の楽曲に勇気づけられたのもまた、私という人間だ。

スマートにできはしない、泥臭くても惨めでも、そう決めた。そんな私の人生はきっと、誰からも嫉妬されるべき素晴らしいものであるだろう。そう信じて。
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