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音楽で繋がるその先へ

HYPEにいた、ひとりの「わたし」と米津玄師

2020年2月、HYPE広島公演。


私たちはあの日、ライブグッズであるオレンジ色のタオルを肩に掛けていた。
舞台から見た米津さんは、「みんな何を持っているの?救命胴衣みたいだね。」と、ちょっととぼけたように話し、私たちを笑わせてくれた。

私がいた会場の二階席、一番後ろから見下ろすその景色は、オレンジ色のタオルがキラキラと輝いていて、とても美しかった。
きっと米津さんのいる舞台から見上げる景色も、同じように輝いていただろう。


今でも目を瞑ると、鮮やかに思い出すことのできる美しい景色。


私の隣の人は、そのタオルで涙を拭いていた。その前の人もその隣の人も。
人が涙を拭う姿を見て、とても優しい気持ちになった。
自分と同じ時、同じ空間で、同じ音楽を聴いて涙を流している。それは必ずしも、同じ感情ではないだろう。けれどもこの会場には、「同じものを持って繋がっている」人が、たくさん集まっているような気がした。



『俺とみんなは友達にはなれない。でもだからこそ、友達以上の関係を作ることができる。もっと俺に歩み寄ってほしい。俺から歩み寄っても意味がないんだ。もっともっと、俺に歩み寄ってほしい。』


この日、米津さんが言っていたように、私の心は米津さんに歩み寄っていた。
友達じゃない。恋人でもない、家族でもない、傍で仕事をしている仲間でもない。ただの一般の、その辺にいるだけの普通の「わたし」。米津さんの音楽を聴いている、何千人、何万人のなかの「ひとり」でしかない。


だけど、音楽は不思議だ。歌詞が言葉になり、言葉がメロディーに乗って、「わたし」に話しかけてくれる。音楽を通して繋がり合うその瞬間は、言葉にできないようなエモーショナルな感覚だった。米津さんと話しをしているかのような、温かい、優しい気持ちになれたライブだった。


そんなHYPEの記憶が、今のコロナ禍の私を支えてくれている。


実をいうと本当はちょっと、いや、かなり疲れている。この世界の未来が見えなくて、自分はどうなるんだろうと怖くなっている。死を選択する人が増えてきて、そんな負のエネルギーにも圧迫されそうになる。
そんなこと考えていても明日は来るし、生きていれば1年なんてあっという間に過ぎる。きっとそう遠くはない先に、また米津さんのライブに行くことができる気がする。



『未完となったHYPEのことを想う。来てくれた人たちに、来ることが叶わなかった人たちに、どうかこのツアーが確かにあったと憶えておいてほしい。そしていつかまた何処かで集まりましょうね。元のようには戻らないとしても、以前よりちょっとだけ成長した姿で、なくしたものを偲びながら楽しみあえたらいいな。』(Instagramより)


HYPEが途中で中止になってから、何度も何度もこの米津さんの言葉を読み返している。
「以前よりちょっとだけ成長した」自分になって会えるように、頑張って明日を迎えないと。こんな世界のなかでも、HYPEの美しかった景色を想い続けて生きていく先に、きっとまた、米津さんと音楽を通して話しができる日がくるかもしれない。


いつかまた。あの日のように。






HYPE広島公演。
車で向かうはずが、急遽一人で新幹線に乗って行くことになった。狭くて人の多い新幹線が病的に苦手な私は、乗車するまでに二時間も駅を彷徨っていた。一人で乗る勇気がなかった。


「今頑張って新幹線に乗らないと、次は米津さんに会えないかもしれない」と、自分自身を追い込み、泣きそうになりながらも漸く、新幹線に飛び乗ることができた。


そしてやっと着いた会場でも、私は緊張していた。



手首にツアーグッズのラバーバンドを巻き、それを触りながらライブの始まりを待った。周りにいる人の様子を観察し、もし持病のせいで気分が悪くなった時は、誰かに助けてもらえるだろうかと不安だった。
昔、大勢の人がいる場所で体調が悪くなり、助けを求めても冷たく断られたことが、ずっと心の傷になっていたからだ。


開始までの待ち時間。だんだんお腹が痛くなり、動悸も強くなってきた。


「大丈夫、大丈夫。音楽が許してくれるから大丈夫。」


米津さんが以前、自身のブログで書いていた言葉をおまじないのように唱えながら、ライブが始まるのを待った。




照明が暗くなり、会場が静まり返った。音楽が流れ、舞台がパッと明るくなった。
米津さんが叫んだ瞬間、大きな歓声が沸き上がり、一曲目が始まった。
低くて力強い米津さんの声が、私の体に響き渡る。


「ああ、頑張って会いに来てよかった。」


緊張で冷たくなっていた手足の先に、温かい血が流れている。自分の脚でしっかり立っていることを自覚する。


音楽に合わせ、ラバーバンドを付けた右手を高く掲げ、私は心の中で叫んだ。


「私はここにいます」
「米津さんの音楽に生かされて、ここまで会いに来たんだよ」と。


そんな声が届いているかのように、米津さんは歌った。



“あなたが思うほどあなたは悪くない 誰かのせいってこともきっとある 痛みを呪うのをやめろとは言わないよ それはもうあなたの一部だろ でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど 誰かがくれたもの数えたことある? 忘れてしまったなら 無理にでも思い出して じゃないと僕は悲しいや“(WOODEN DOLL)


昔、「助けて」と言ったのに助けてもらえなかった。あの時だけじゃない。
もっと愛して欲しかった、もっと甘えさせて欲しかった、もっともっと。
そんな過去の寂しい記憶は、「もう誰も助けてくれない、もう誰も愛してくれない」という絶望に、自分自身の中で変換されていた。
本当は、私の周りには、力になってくれる人や心配してくれる人がいる。愛してくれている人がたくさんいるのに。


自分自身にそんな「呪い」をかけ、その「WOODEN DOLL=操り人形」を操っているのは、自分自身に他ならないことに気づく。
私にとってこの曲は、ほんとうに大切な曲だった。
辛辣な、それでいて愛情深いこの曲が、この言葉が、いつも私の心に突き刺さる。
今日もまた。
ありがとう。


そんな温かい気持ちのまま、私は周りを見渡した。
隣の人が、肩に掛けたタオルで涙をそっと拭っていた。前の人は、ずっと肩を震わせていた。


米津さんの言葉がメロディに乗って、ひとりひとりの「わたし」に届いているようだった。
美しい景色に、私も涙が滲んだ。





そして静かに流れてきたアコースティックギターの優しい音色と穏やかなメロディー。
私の心は、さらに米津さんの奏でる音楽にぐっと引き込まれていった。



“今だけ全て見えない聞こえないふりして笑おうか 何にも役に立たないことばかり教えて欲しいや”(眼福)

今、ライブにいる時だけは、過去の嫌な記憶や、日常の面倒なことを忘れることができる。病気の弟に向けられた哀れんだ眼差しや、怪訝な視線、「気持ち悪い」と投げつけられた言葉の数々。
そんな視線を気にすることなく、私は今、素直に笑い、腕を高々と挙げ、涙を流すことができる。『今だけ全て見えない聞こえないふり』ができる時間だ。


“「そんじゃまたね 明日ね」そんな風に今日を終えども 明日なんて見たこともないのにさ
随分あっけらかんとしてるわ”(眼福)

この歌詞が大好きだ。
米津さんがライブでよく言う最後の挨拶、「今日みたいな美しい空間を、また一緒に作りましょう。それまでお互い、元気に生きていこうね」という言葉と重なった。
今日もこの挨拶が聴けるのかなと楽しみになる。


元気に生きていくって、本当はすごく難しい。またお互い元気にライブで会えるって、とても難しいことなんだ。そういうことを、米津さんは知っていると思う。元気に生きていくこと、また次も会えるということが、どんなに難しいことか。私にも、「またね」と別れた後に会えなくなった人がいた。

「また会おうね」といった米津さんの言葉も、この歌詞にある“そんじゃまたね”も、あっさりしているようでいて、とても深くて重い意味のある言葉だ。
この言葉に込められている切なさが、「今」というこの時間をより一層、大切なものにしてくれる。


“きっとあなたと私はいつまでも一緒にいられない 何か食べようか ここで話をしようか”(眼福)

今日というこの日しか、私は米津さんと一緒の空間にいることができない。
曲がひとつひとつ終わっていくごとに、切なくなる。

だけど。
生きているって、そんなものかもしれない。

会いたいと思っていても、会えなくなること。頑張って生きて欲しいと願っても、急に命が尽きること。忘れたくない大切な思い出や記憶すら、薄れていってしまうこともある。一年前のライブのことだって、一つ一つを鮮明に憶えていたいのに、思い出すことに時間がかかってしまう。

悔しい。

でも、「ずっと一緒にいたい」「このまま時が止まって欲しい」「毎日毎日会いたい」。
そんなふうに願うことは、少し違うのかもしれない。
全てにおいて限られた時があるからこそ、今だけの時間を大切にできるのかもしれない。望むことは、シンプルなのかもしれない。


“望むのは簡単だ あなたのいる未来が ただこの目に映るくらいでいい 私はそれで眼福さ”(眼福)

明日、米津さんが生きている。私が生きている。
たとえ、今日のライブはあと数分で終わったとしても、明日はイヤホン越しに米津さんの音楽が聴ける。
私はそれだけで幸せなんだ。
今日という限られた幸せと、明日という未来にある些細な幸せを夢見て生きる。
そうやって、少しずつ生きていけば、またお互い、元気に会えるのかもしれない。




そして一番最後に歌った曲。


“ソングフォーユー 聴こえている? いつでもここにおいでよね そんな歌 届いたら あとは君次第”
“ソングフォーユー 憶えている? 僕らは初めましてじゃない 同じものを持って 遠く繋がっている”
(ホープランド)



私には、家族もいて友達もいる。でも、何か足りないと思って生きてきた。それはここでは言えないけれど、それがいつも自分の邪魔をしている。足りないものを補いたくても補えなくて、「所詮自分は独りなんだ」と閉じこもってしまう。
「助けて欲しい」「愛して欲しい」「私を見て欲しい」そんな気持ちを、どこに、誰にぶつけていいかもわからず彷徨っていることがある。
けれども、「同じものを持って遠く繋がっている」というこの歌詞に、いつも安心している。独りでも私には、寂しさに寄り添ってくれる音楽があるんだと。


『ホープランド』でHYPEは締めくくられた。
米津さんが「わたし」に、最後に語り掛けてくれた言葉だった。





HYPEが中止になった今、毎日のように『ホープランド』を聴きながら、ライブを思い出している。
あの日オレンジ色に輝く美しい会場で、米津さんと「同じものを持って繋がっている」多くの人が、ピースサインを掲げていた。
あの日に戻りたい、あの日の自分に戻りたいと願う。
私にとって、ライブがとても大切なものだったことを実感している。
生き生きしていたあの頃に戻りたい。


でも、過去はもちろん戻らない。
時間はどんどん進む。あの頃の私はもういない。


けれども、音楽はいつも変わらず傍にいてくれる。
米津さんが作った音楽が、今の私に語り掛けてくれている。



『いいよ あなたとなら いいよ 二度とこの場所には帰れないとしても あなたとなら いいよ 歩いていこう 最後まで』(カナリヤ)と。



音楽で繋がり合うその先で、いつかまた、「ちょっとだけ成長した姿で」会うことができますように。
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