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時をかける「茜色の夕日」から見えた「虹」

のび太みたいな志村正彦の心も歌える菅田将暉

2014年、友人に誘われて3DCGアニメ映画『STAND BY ME ドラえもん』を見た。『のび太の結婚前夜』がベースになっており、他にも『帰ってきたドラえもん』など名シーン満載で、泣けるドラえもんの総集編のような世界にすっかり引き込まれてしまった。秦 基博が歌う主題歌「ひまわりの約束」もドラえもんのやさしい世界に馴染んでいて、一時期、この曲を聞く度に涙腺が緩んでいた。

あれから6年が過ぎ、今年『STAND BY ME ドラえもん2』が公開された。今度は自ら見る気満々で公開から間もなく、ひとりで1年ぶりに映画館に足を運んだ。何しろ今作は個人的にドラえもんの中でも一番好きな『おばあちゃんの思い出』が踏襲されているというから、見逃すわけにはいかない。

今年の春にも『おばあちゃんの思い出』は見返したばかりだった。30分にも満たないアニメ作品なのに、必ず泣ける。これは泣かせるアニメの金字塔だと改めて感動しながら見入っていた。

あくまで個人の見解だが、『おばあちゃんの思い出』はフジファブリック「若者のすべて」の世界にも通じる部分が多い。幼いのび太は秋の終わりに“花火”がほしいと駄々をこねて、おばあちゃんを困らせていた。ドラえもんのタイムマシンで過去に戻っていた小学五年生ののび太がその様子を眺めている。おばあちゃんに会えたからもういいでしょとドラえもんはのび太に帰ることを促すが、もう一度だけおばあちゃんを見たいとそっと歩き出した時、路地の“街灯の明かり”がぽつぽつ点灯し始めて、おばあちゃんの部屋に着いた時、時計は“夕方5時”をさしていた。偶然なのだろうけど、「若者のすべて」の歌詞に登場するモチーフが多いことに気付き、目が離せなくなった。日は暮れかけ、のび太とおばあちゃんの影が重なって、そしてまた別れが訪れて…。

《何年経っても思い出してしまうな》

《ないかな ないよな きっとね いないよな》

《会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ》

「若者のすべて」の歌詞はまるでのび太がおばあちゃんを思う心を代弁しているかのようだ。この曲が『おばあちゃんの思い出』の主題歌だったらいいのにとさえ思った。フジファブリックなら「タイムマシン」もいい。ドラえもんとフジファブリックの曲って妙に合うと思い始めていた。志村正彦がのび太のように臆病な心をさらけ出して書いた歌詞が多いからかもしれない。

『STAND BY ME ドラえもん2』はたしかに『おばあちゃんの思い出』要素が最初と最後に組み込まれていたが、どちらかと言えば“のび太とおばあちゃん”よりは“のび太としずかちゃん”の関係性がクローズアップされた作品に仕上がっていた。『のび太の結婚前夜』の続きである“のび太としずかちゃんの結婚式当日”の物語に重きが置かれていた。『STAND BY ME ドラえもん』と違って、今作品はオリジナル要素も多く、前作品の続きのようでもあるが、過去の作品の総集編とも違って、初めて見るストーリーも少なくなく、見応えがあった気がする。

その分、先程触れたフジファブリック感漂う『おばあちゃんの思い出』はカットされた部分も多く、夕方のシーンではなくなっていたところが個人的に少しだけ残念だった。
とは言え、おばあちゃんは当然、ストーリー内で良い仕事をしていて、『おばあちゃんの思い出』がのび太としずかちゃんの結婚式の泣かせる演出には欠かせない要素になっていた。最初と最後におばあちゃんが登場することによって、さらに良くまとまり、しまりのある映画に完成していた。しずかちゃんがプレゼントの包装紙だとすれば、おばあちゃんは包装紙を留めるリボンの役割を果たしていた。おばあちゃんという存在がのび太の成長物語により華を添えていた。

そして今回話したかった主題歌がエンドロールで流れる。本編を見終えた後、その歌を耳にすることにより、おばあちゃんが留めてくれたリボンとしずかちゃんが包んでくれたプレゼントが映画を見ている観客の心へ完全に送り届けられ、より一層、涙が溢れてしまう作品が本当の意味で完成するのである。

その主題歌は、菅田将暉が歌う「虹」。「さよならエレジー」、「クローバー」など、すでに多数の楽曲で菅田将暉とタッグを組んでいた石崎ひゅーいが作詞作曲を担当し、ほのぼのとしたウェディングソングになっている。
映画『ドラえもん』の主題歌と聞くだけで、泣ける歌に違いないと聞く前から期待していた。しかも歌い手は「まちがいさがし」でシンガーとしても有名になった菅田将暉。どんな名曲が誕生したのだろうかと、映画の本編よりも楽しみなくらいだった。

《泣いていいんだよ そんな一言に僕は救われたんだよ ほんとにありがとう 情けないけれど だらしないけれど 君を想う事だけで 明日が輝く》

気の弱いのび太が呟きそうな言葉だけで構成された歌詞が続く。もしもこの曲をただ歌の上手い優等生的な歌手が歌えば、物足りない歌に感じてしまう恐れもあると思った。親しみやすく分かりやすいメロディ、少しもごまかしがきかないシンプルな言葉が並んだ歌詞、子どもでも誰でも歌えそうな歌だからこそ、本当に心に届くように歌うのは逆に難しい曲だろうと思った。

本業が俳優の菅田将暉が語りかけるように歌うからこそ、この曲は「虹」として輝く。彼が歌う楽曲は「虹」に限らず、どの曲であっても、舞台に立つ役者がミュージカルで歌う時のような感情を剥き出しにする表現力が備わっているように聞こえる。それぞれの曲の世界に合わせて人格を変え、主人公になりきり、まるで一人芝居でもしているかのように、感情を吐き出しながら歌う手法は、ただの歌手なら簡単にできることではないだろう。舞台もこなす俳優だからこそ、歌える歌があって、聞く人の心を揺さぶる歌になる。音楽専門の歌手が歌うより、歌の表情が見えやすいというか、楽曲に合わせた的確な歌の世界を聞く人に見せてくれる。

今回は見事“のび太”になりきって歌っている。少年性が残っている大人の菅田将暉は子どもののび太と大人ののび太、両者の等身大の心を表現することに長けている。ただの歌のはずが、音源を聞いていると、のび太が困ったり、泣いているシーンが思い浮かぶし、菅田将暉が舞台上で叫んだり、うなだれたりしているような光景さえイメージできてしまう。歌声が彼自身の感情も運んできて、ただの音楽とは思えなくなってしまう。何度聞いても、ショートムービーを見てる感覚に陥る。映画の主題歌だからではなく、彼が歌えば自然と映像作品になり得る楽曲になってしまうから不思議だ。

それは彼の歌い方にも特徴があるからかもしれない。菅田将暉の歌声は聞き取れない部分がほとんどないのである。音符1音1音に歌詞の一語一語がフィットしていて、発音がかなりはっきりしており、言葉が聞き取りやすい分、より感情が伝わりやすいと考える。「虹」も然り、聞き取れないフレーズなんてひとつもない。つまり全くごまかしていない。菅田将暉の歌唱力の気迫が半端なくて、のび太はヘタレのはずなのに、まっすぐに勝負を挑んでくる迫力が感じられる。音程の正確性、音楽の専門知識などはあまり関係なくて、彼の歌声は聞く人の心に迫るものがたしかにある。

菅田将暉が主演を務めた舞台『カリギュラ』を見た時、冷徹非道な暴君カリギュラが本当に恐ろしくなった。カリギュラになりきった菅田将暉が頭から離れなかった。役者渾身の演技を通してカリギュラの病んだ心が痛いほど分かり、胸が苦しくなった。つらくなりすぎて、途中で見るのを止めようかと思ったくらい感情が伝わってきて、私の記憶に“菅田将暉”という役者の魂が強烈に刻まれた瞬間だった。

菅田将暉の歌はそういう演技と同じで、決してごまかさず、魂を込めたまっすぐな気持ちを聞き手に伝えようとするから、熱量が半端なくて、聞く度に圧倒されてしまうのである。

《一生そばにいるから 一生そばにいて 一生離れないように 一生懸命に きつく結んだ目がほどけないように かたくつないだ手を離さないから 離さないから》

菅田将暉が一生懸命に歌う歌は聞く人の心にほどけないリボンを結んでくれて、ぎゅっと手をつないでくれて、一度聞いたら耳から離れない。きつく、かたく記憶に残る。

臆病なのび太の心を歌っているはずなのに、芯がしっかりしている。のび太ってヘタレだと思い込んでいたけれど、実は菅田将暉がなりきった弱そうだけどひたむきなのび太こそ、本当ののび太像かもしれないと気付いた。

残虐なカリギュラとやさしいのび太は対照的で、かなり振り幅がある。しかし歪んではいてもカリギュラに信念があったように、のび太の中にも人を思いやるという揺るぎない信念があった。両者を演じられる菅田将暉が歌うからこそ感じられるものがある。

『STAND BY ME ドラえもん』の後半で、ドラえもんが未来へ帰らなければならなくなった時、しずかちゃんと結婚できる未来に変わったことを知ったのび太は無邪気にはしゃいでいた。そんなのび太を眺めながらドラえもんが愛情を込めてのび太をディスった台詞から引用する。

「ドジでのろまで勉強が嫌いで気が弱くて怠け者で愚図で運動もまるでダメ。臆病でうっかり者で頼りなくて面倒くさがりやで意気地なしで物覚えが悪くて…お人好しでお調子者で甘えん坊で…」

ドラえもんはいつしか涙を流しながらダメ出しを呟いていた。「虹」の歌詞もそんな典型的なのび太像を歌っているように見えて、でも『STAND BY ME ドラえもん2』では一度は逃げ出してしまったものの困難を乗り越えて、無事にしずかちゃんと結ばれるという成長したたくましいのび太像も必要になるから、それを歌いこなすにはやっぱり菅田将暉が必要なんだと思った。気が弱いながらもお人好しな性格で思いやりのある強い心も持ち合わせているというのび太像は彼にしか歌えない。歌の中で単純にのび太を演じているわけではなく、菅田将暉自身ものび太に近い部分があるから、より一層「虹」という歌に心情がリアルに反映されているのかもしれない。

そもそも菅田将暉が音楽に目覚めたのはフジファブリックの「茜色の夕日」に出会ったことがきっかけだ。菅田将暉の1stアルバム『PLAY』には「茜色の夕日」のカバーも収録されている。初回盤には「茜色の夕日」を歌うドキュメンタリーDVDも付属しており、その映像を見た限りでは、菅田将暉は「茜色の夕日」を作詞作曲した志村正彦の心情も汲んで歌い上げていると確信できた。

《君に伝えた情熱は 呆れる程情けないもので 笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった》

《僕じゃきっとできないな できないな 本音を言うこともできないな できないな 無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった》

この曲を聞くまでの菅田将暉のイメージは俳優として順風満帆な生活で幸せそうで、つまり「茜色の夕日」に登場する主人公とはかけ離れたイメージを持ってしまっていた。しかし菅田将暉にもたしかに忘れられない故郷があって、東京で活躍するために犠牲にしたものもあったかもしれなくて、言えない本音も抱えていて、上京したてだった志村正彦に意図的に寄せているわけではなく、似た心境で生きていたということが伝わってきて、自分の中で好感度が増した。

音楽は本格的に始めたばかりで何となくギターなどおぼつかない部分もあるが、でも生半可な気持ちで俳優業や音楽業をやっているわけではなく、何事もひたむきに取り組む芯の強い人柄が「茜色の夕日」のカバーを聞いた時から感じられて、音楽と本気で向き合っていた志村正彦と同じだと思った。

志村正彦は音楽界に飛び込んだばかりの頃、音程に一切ブレがなくて、歌がとても上手なシンガーというわけではなかったかもしれない。音楽の才能があり、音楽センスもあったけど、でも緊張すると上手く歌えないこともあったらしい。

菅田将暉だって、特に「茜色の夕日」をカバーした頃は今ほど歌に安定感はなかったかもしれない。でもそれなのに、なぜか心に響く歌だった。両者とも、たしかに歌で心を届けてくれた。

志村正彦の歌い方もそう言えば、発声がはっきりしていて、歌詞を丁寧に歌い上げていて、ごまかすようなそぶりはない。どんなとんでもない変わった曲でも真っ向から勝負してくる。だから菅田将暉同様、心情が伝わりやすいのだろう。

志村正彦ものび太の心情を歌うのに適したアーティストだったと思わざるを得ない。特にフジファブリックのアルバム『CHRONICLE』では“臆病で弱い僕”が顕著で、のび太の心情に通じる曲が多いからだ。「バウムクーヘン」、「クロニクル」、「タイムマシン」あたりはそのまま『ドラえもん』に起用されても良いのでは、と思える。

つまり何を言いたいのかというと、今回、菅田将暉が『STAND BY ME ドラえもん2』で主題歌を歌う歌い手に抜擢されたのは、偶然ではないと考えられるのである。

菅田将暉は志村正彦が作ったフジファブリックの「茜色の夕日」と出会い、その曲をカバーして、志村正彦の心情も歌い上げていた。志村正彦はどことなく自信なさげで、臆病なイメージがあり、それでも音楽にかける熱意は半端なくて、弱虫だけど芯の強さも持っているのび太と重なる。のび太みたいな志村正彦の曲と出会った菅田将暉は今回オファーされる前から、とっくにのび太になりきれていたのかもしれない。菅田将暉が志村正彦の音楽と出会った瞬間から、いつかのび太を演じて、のび太の心を歌うことが決まっていたような気がしてならない。

《大袈裟なことを言うと この一曲で人生が変わったのかもしれません それまで僕の携帯に音楽は一曲も入ってませんでした 一曲も というか 人生で何がしたいのか 一つもわかりませんでした あれからしばらく経ち なんと今人前で歌ったりしています》

「茜色の夕日」ドキュメントDVDのエンドロールで流れる「茜色の夕日」に対する菅田将暉の言葉だ。彼は「茜色の夕日」というたった一曲の音楽と出会ったことにより、人生が変わったと言っている。人生を変えるほどの大切な曲なら、歌う度に志村正彦を思い出すだろうし、志村正彦の心情を菅田将暉が覚えていて、歌い継いでくれていると思う。だから今回「虹」という自身の楽曲で志村正彦みたいなのび太になりきるのは、菅田将暉にとって難しいことではなかっただろう。音楽面で、臆病者になりきるのは慣れていただろうから。

『ドラえもん』に関して話すと、のび太はいつもジャイアンやスネ夫にいじめられて、テストで0点ばかり取って先生に怒られて、ママにも怒鳴られて、泣かされてばかりで、正直のび太になりたいとは思えない。でもそんなのび太にも羨ましい面もある。幼い頃はどんなわがままを言っても、許してくれるやさしいおばあちゃんが側にいて見守ってくれて、小学五年生になるとのび太の不幸な未来を変えるためにドラえもんという救世主が現れて、それから小さい頃からやさしいしずかちゃんという友達、将来のパートナーもいるから、のび太ってなんだかんだ羨ましい。でものび太にとってやさしい人たちとは永久的にずっと一緒にいられるわけではないから、そこが切ない。のび太の味方であるおばあちゃん、ドラえもん、しずかちゃんという三者が同じ時代に揃うことはない。おばあちゃんとしずかちゃん、ドラえもんとしずかちゃんは同時期に存在するけれど、時系列的に三者が同時に揃う時期は本来は存在しない。おばあちゃんは早くに亡くなってしまうし、ドラえもんはのび太が大人になるまでに未来に帰ってしまうから。しずかちゃんだけがずっとのび太と人生を共にする存在だ。おばあちゃんがいなくなっても、ドラえもんがいなくなっても、最後までのび太の味方として寄り添ってくれるそんな人がパートナーだなんて、のび太がほんとに羨ましい。

《さみしい夜を半分 僕に預けて欲しい うれしい日々は十分に 笑い合っていたい どんな言葉でも足りないよな 君のぬくもりに触れたせいかな》「虹」

のび太って落ちこぼれなのに、実はとても恵まれている。普通、のび太みたいな境遇だったら、僻んで人生に絶望して、他人のことなんてどうでもいいと思いやりの欠片も失ってしまうが、どんな不運が訪れてものび太はなんだかんだ思いやりに溢れているから、憎めなくて、素敵な人たちが助けてくれて、味方についてくれるのだと思う。

実際、ドラえもんが未来に帰ってしまいそうになった時だって、駄々をこねるかと思いきや、ドラえもんを安心させるために、ひとりでジャイアンに立ち向かったし、しずかちゃんとの結婚から逃げ出したのだって、自分と一緒にいたら、しずかちゃんを不幸にしてしまうかもしれないと彼女を思いやる気持ちが大きくなりすぎて逃亡しただけだったし、のび太が何かをやらかすのって一見、失敗に見えて、実は相手を思うやさしさに溢れている。だからおばあちゃんも、ドラえもんも、しずかちゃんものび太を見放すことなく、ずっとのび太を信じて、愛してくれるんだと思った。

『STAND BY ME ドラえもん』で結婚前夜、しずかちゃんのパパが嫁ぐ娘へ向けて言った有名な台詞がのび太を端的に表わしている。

「あの青年は、決して目立った取り柄があるわけじゃない。しかし、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それが一番人間にとって大事なことなんだからね。」

“人の幸せを願い、人の不幸を悲しむこと”は簡単なようで、実際はとても難しいことである。むしろ現実では“陰で人の幸せを妬み、人の不幸を喜ぶ”ような人も少なくない。のび太みたいな純粋に人を思いやれる人はリアルでは希少価値がある。一見良いところなんて何もなさそうなのび太だけど、獲得するのが一番難しい純粋なやさしさを兼ね備えているから、おばあちゃん、ドラえもん、しずかちゃんという最強の味方を引き寄せることができたのだろう。

その三者が揃うことはないと先程述べたが、今回『STAND BY ME ドラえもん2』ではドラえもんのタイムマシンやひみつ道具のおかげで、奇跡的に三人が揃う瞬間があるのは見逃せない。三者が揃ったのはやはりのび太のやさしさがきっかけだった。最初はおばあちゃんに会いたいというのび太のただのわがままから始まって、でもいつの間にか、「のびちゃんのおよめさんを見たい」というおばあちゃんの願いを叶えてあげるためにのび太とドラえもんは奔走するのだ。いろんな予期せぬアクシデントを乗り越えて、おばあちゃんの願いを叶えてあげた。最後のおばあちゃんの言葉にまた泣かされる。「約束を守ってくれたことよりも、約束を果たそうと必死にがんばってくれた過程が一番うれしい」と。

自分の祖母の話になるが、私はおばあちゃんっ子だった。妹が生まれた時から母は妹にかかりっきりだったので、私は祖父母に面倒を見てもらうことが多かった。『STAND BY ME ドラえもん2』では『ぼくの生まれた日』つまりのび太が生まれた日をドラえもんとのび太が見に行くシーンもあったように、私は妹が生まれたばかりの頃、祖父母に連れられて病院にお見舞いに行っていた。いつも絵本『ももたろう』と自販機で買ってもらったピーチ味ネクタージュースを抱えて。子どもの頃はけっこう活発な性格だったらしく、「飽きた」とか「暑い」とか愚痴っていたらしい。
近くに住んでいた心配性な性格の祖母は、私が高校生の頃、少し帰宅が遅くなると探してくれることもあった。
次第に私は内向的な性格に変わり、ある時「あまりにも大人しくてしゃべらないから心配だったけれど、自分の意見を持った大人に成長していて安心したよ。」と祖母の本音を初めて聞かされ、心配かけていたことに申し訳ないと思った。
大人になるにつれて、子どもの頃から何度も聞かされていた祖母の十八番昔話の長話がうっとおしく感じる時もあり、せっかく話に来てくれても、そっけない態度をとってしまうこともあった。
年老いて、認知症傾向になり、私の家に助けを求めて腰を曲げた姿で必死に歩いて来た時も、結局何もしてあげられないまま、祖母の家に送り帰してしまった。あの時の後ろ姿が今でも忘れられない。
それから間もなく、祖母は介護施設へ入居することになった。入居してからはますます認知症が進んで、二年ほど前に会った時は会話もできなかった。きっと私が誰なのかももう分からない。そしてコロナ禍になってからは、面会にも行けなくなってしまった。
だから私は後悔している。「おばあちゃん嫌い、おばあちゃんあっちに行け」とかおばあちゃんに八つ当たりする幼少期ののび太を見て、小学五年生ののび太が嫌悪感を抱いたように、私も、おばあちゃんが十八番の長い昔話をしたくて家に来てくれた時や、腰を曲げて必死に歩いてきてくれた時、どうしてもっとやさしくしてあげられなかったんだろうと、今さら悔やんでいる。生きていても、話せなくなる時が来るなら、同じ話でもいいから、もっとちゃんと何度でも聞いておけば良かったと、会えなくなった今なら思える。

私はのび太と違って、ジャイアンやスネ夫みたいな同級生にいじめられることはなかったし、テストで0点とって先生や親から叱られるようなこともなかった。だけど、いろいろあって落ち込んだ時、家が耐えられなくなった時、いつでも助けてくれるおばあちゃんがいてくれた。無償の愛を注いでくれた。
妹の病気が分かってからも、他の誰よりずっと妹のことを気に掛けて、信じて見守ってくれていた。妹の病状がひどかった頃、一時期、祖母の家で暮らしたことがあり、今となっては妹が私をターゲットにして追い出してくれたことが、ありがたいことにも思える。当時は必死だったけれど、おかげで祖母と暮らせた良い思い出も残ったから。

おばあちゃんはいてくれたけど、当然私にはドラえもんはいないし、残念ながらしずかちゃんみたいな素敵なパートナーにも巡り会えていない。おばあちゃんに結婚式を見せてあげることは一生できそうにない。せっかく長生きしてくれているのに、私は祖母を喜ばせることが何もできていない。現実で叶わないなら、せめて叶えたい夢をたくさん書くことにした。物語上ならドラえもんみたいな救世主やしずかちゃんのような素敵なパートナーをいくらでも描くことができるから、いつか本を作れたなら、絶対祖母に届けようと決めている。昔話、長話が得意なおばあちゃんの遺伝子受け継いでいるから、こんなに書くのが好きになったよって伝えたい。

祖母のことを思い出すのは、『ドラえもん』のおかげだけではなく、志村正彦のおかげでもある。「茜色の夕日」を始めとするフジファブリックの曲は童心に帰れるし、過去にタイムスリップさせてくれるから。楽曲そのものがタイムマシンの役目を果たしていて、志村正彦が過去に連れて行ってくれる。そして今、志村正彦の心を継承する菅田将暉という歌い手が現れて、彼の歌声は私の心を未来に向かわせてくれる。二人ともタイムマシンを操縦できるらしい。映画の中でドラえもんは言っていた。「この時代にタイムマシンを操縦できるのはひとりしかいない。のび太くん、キミだ。」と。

志村正彦がのび太みたいに臆病でやさしくて良かった。菅田将暉が志村正彦の心の良き理解者で良かった。のび太みたいな二人がいてくれて良かった。おかげで、音楽をタイムマシンにして、過去と未来をつなぐ虹みたいな架け橋が完成したから。
しずかちゃんが出木杉くんを選ばなかった気持ちが分かった気がした。出木杉くんならきっと完璧な音程で、教科書通りのお手本みたいな歌を正しく歌うだろう。でもそれじゃあ少し退屈だ。
志村正彦も菅田将暉も歌に普遍的な信念や熱い心を込めるからこそ、ライブ感が強くて、危うい瞬間の音もあって、生きている音楽を聞かせてくれる。生き様を見せつけてくれる。舞台に立つ主役のように、音楽で人生を見せてくれるから多くの聞き手が魅了されるのだろうと、そんなことを思った。
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