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エレファントカシマシ「晩秋の一夜」と宮本浩次「夜明けのうた」

凍える部屋から光さす場所まで

エレファントカシマシのボーカル、最近はソロ活動を行っている宮本浩次の作り出す楽曲に夢中になって数年経つ。
どの作品も聴けば聴くほど味わい深く、常にその音楽は私の中で鳴り響いている。

ところで2020年は、家に籠り可能な限り他人と接することを避けねばならないという、今まで経験したことのない1年だった。
そんな状況の中、10月に開催された31年連続となるエレファントカシマシの「日比谷野外大音楽堂 2020」は、満席の半分の人数を入場者とする代わりに、配信で全国どこにいても視聴できることになり、私も自宅から参加することができた。

派手な演出はなくMCは最低限、時間の許す限り楽曲を演奏する、というスタイルはいつも通りで、彼らの寡黙な佇まいは何とも格好良く、バンドの音はその長い歴史を経てきたどの時期の曲も瑞々しく、精進を重ねる、という言葉を体現しているように思えた。
ボーカルの宮本はと言えば、セットリストが進むほど若返っていくようだ、とライブの度にファンの間で話題になるが、曲が作られた当時の若さに戻る、というより歌うことに集中すると、外見的な年令から解放された「歌うたい」の魂そのものが現れるのではないかと思ってしまう。

さて、先に述べたような社会との分断を経験してきた年の、この日演奏された曲の中に「生活」収録の1曲「晩秋の一夜」があったことを私は忘れないだろう。
「生活」というアルバムは、私にとって最も解りにくいアルバムだった。
まず、後年の艶と伸びのある声と全く違う、しゃがれ声が気になって仕方がない。
なぜ宮本が「青春の頂点」と言っているのか訳がわからないでいた。
ところが、この日の宮本の声はなんと優しく味わい深く美しく響いたことか。
演奏を聴いたとたん、私は自分でも驚くほどすんなりと共感を持ってこの曲を受け入れていた。
静かで凛と冷えた空気と、赤々とけれど静かに燃える火鉢の炭の暖かさ、自分の愛するものだけが置かれた部屋、そして部屋に在ろうが外に出て行こうが自分が生きているのは「限りある命の世界」という紛れもない現実、を静かに歌っていた。
それが、今の宮本の部屋であり内面世界なのだと感じた。

野音の興奮が去ると、「晩秋の一夜」を聴かずにはいられなかった。
「生活」を発表した当時の宮本は、自身の内なる世界と向き合っていたと聞く。
改めてこの曲を聞いてみると、火鉢の火はやっと起こされたばかりで小さく暖かさにはほど遠く、外の風が障子を鳴らし部屋の寒々しさが身に沁みるようだった。
今まで気になっていた、しゃがれ、かすれ、叫ぶような声は、泣けてくるほどに、自分とは何か、生きるとはどういう事なのかと探し求める青年宮本の、心からの必死の声そのものに聞こえた。
あの時はあの声で歌わねばならなかったのだ、と今ならわかる。

学校やそこに関わる大人、というわかりやすい枠があって、社会に対する「漠とした疑問」を持つのが少年期なら、その社会に出て生活の糧を得ていかなければならなくなる時「何のために働くのか」「自分はどういう人生を送りたいのか」と自問するのが青年期であるのかもしれない。
部屋、本棚、机上はしばしば持ち主の心の内を映すものだ、と聞いたことがある。
この時期、宮本は自分の内なる世界を一度空にして、置くべきものだけを選択していたのだろうか。
彼は、火鉢と本しか選ばなかったのだ、となぜか強くそう思う。

森鴎外、永井荷風、論語は宮本の愛読書であるという。
繰り返し読むことは、「自分が立ち戻る場所がある」ということだ。
それは「自分を正当化する」ということとは全く違う。
原点に戻り、初心を思い出す場所である。
宮本は「己を使い尽くしたい」と言う。
それは、彼が「いかなる人生を生きたいか」ということを指し示す言葉だろう。
その方向性を確たるものにするための内なる奮闘の日々の記録が「生活」というアルバムでありそれゆえ「青春の頂点」なのではないかと、私は自分なりに納得したのだった。

立ち戻る場所ができた後の宮本は、少しずつ外へと世界を広げて行くことができるようになったのではないかと思う。
町の景色が増え、その景色に色がつき、同時に声が変わっていくことで、私はそう感じる。
改めて再デビューという転機に発表されたアルバム「ココロに花を」に収録された曲を感慨深く思う。
例えば「四月の風」例えば「Baby自転車」、そして「悲しみの果て」に描かれた、静謐で眩く美しい光に満ちた「部屋」。
その部屋を
「部屋を飾ろう」「花を飾ってくれよ」(悲しみの果て)
と、歌う声は聴く者にどれだけ寄り添い救ってきたことだろう。
(私もその一人として、ひと時もこの曲を忘れたことがない。)
アルバム「ライフ」収録の「部屋」では、
「この小さな部屋で」「僕は生きている」「僕が癒せるかもしれない」(部屋)
と歌う。
このように「部屋」は、しばしば彼の楽曲に登場し、キーワードであると改めて感じた。

そして、今年の元日に公開された宮本浩次のアルバム「宮本、独歩。」収録曲の「夜明けのうた」の映像のことも言い添えたい。
薄暗がりの中、「夜明けのうた」を歌いながら灯火を掲げて階段を先導するのは、宮本である。
その階段を登り詰めた先の、大空が広がり太陽が昇る空間で、軽やかにステップを踏みこの上なく美しい声で歌う54歳のロック歌手の姿は、希望と幸福そのもののようだった。
かつて、部屋に籠り振り絞る声で
「それでも生きようか 死ぬまでは」(晩秋の一夜)
と歌っていた人が、聴く者を光さす場所へ導き
「忘られぬ思い出も 空のこの青さも ぜんぶぜんぶこの胸に抱きしめたい わたしの好きなこの世界」(夜明けのうた)
と歌う。

今までの彼の必死の生き方があったからこそ、その映像には圧倒的な説得力があった。
(「ああ 心よ 静かにもえあがれ」(同曲)
という歌詞に、火鉢もまた宮本の内面世界に於いて重要なアイテムなのだと、ここに至って気がついたのだが。)
これが「己を使い尽くす」という生き方を貫き、美しく年を重ねてたどり着いた彼の現地点である。

富も名誉も、彼にはまだまだ足りないかも知れない。
努力が全て報われてきたわけでもないだろう。
しかし、彼は、破滅・破壊の人では決してない。
「歌うことが好き」と1曲1曲に心血を注いで歌う時、彼にとって「幸福」とはこういう形で現れるものなのだろう、と思う。

「この社会の中で、自分はいかに生きるべきか」ともがく人に、エレファントカシマシを、そして宮本浩次の楽曲を是非聴いてみてほしいと思う。
今まで宮本が作ってきた楽曲は、言うなれば彼の心の記録である。
(現在進行形の、或る人の人生を他人が辿る、とはなんと不思議なことだろう。)
宮本より年上の私もまた、彼の歌を追って「5分先」も「100才」までも、「己を使い尽くす」ことができたら、と願う。
そして、その途中で終わりを迎えることをも肯定してくれるのが、彼の歌なのである。
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