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"今″を必死に生きる

eastern youthという個性に出会った日から、アルバム『2020』までの歩みと共に

 皆さんは、〝今″を必死に生きているだろうか。
 私は、〝今″を必死に生きているだろうか。

 eastern youthというパンクロックバンドがいる。
1988年、北海道の札幌市で結成。エレキギター&ボイスの吉野寿、ベースの三橋徹、ドラムスの田森篤哉の、男性メンバー3人であったが、上京に伴い三橋が脱退し、その後ベースに二宮友和が加入。
 さらに2015年に、二宮が脱退し、新たに村岡ゆかという女性ベーシストが加入して現在に至る。
 ザクザクとした骨太サウンドが印象的であり、感情的に絶叫する歌い方や音楽性は、NUMBER GIRLやASIAN KUNG-FU GENERATIONなどのバンドにも影響を与えているようだ。
 村岡が加入したことによって、それ以降出されたアルバム『SONGentoJIYU』、『2020』では、村岡のコーラスも印象的で、新しい風が吹き、一味違った魅力が出てきたように感じる。
歌詞は日本文学のようであり、ストレートな言葉も飛び交う。人生において、「もうだめだ、生きていけない」と、心が潰れそうな時ほど、聴けば聴くほど心が救われていく気がする。


 私がeastern youthに出会ったのは、今から10年ほど前の2011年。あるドラマを観ていた時、聴いたことのないような疾走感のある曲が、たまたま流れてきた。最初は、歌詞が聞き取れず、なんかすごい叫んでるなぁと思い、歌詞や曲名を調べてみた。

「男子畢生危機一髪」(だんしひっせいききいっぱつ『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』に収録)という曲名だった。

【数多の溜息が
季節を飲み込むので
私は思わず目を伏せる】

【走って、走って、走り去る!
月光と太陽を駆け抜ける!】

 この歌詞はまさに、私の生活そのものだった。
当時、社会人3年目だった私は、時間に追われ、嫌な上司の下で目まぐるしくやってくる毎日に翻弄されていた。辞めようかとも思った。
しかし、とにかく走るしかない、止まる余裕はない。私はこの曲で、なんとかこの状況を駆け抜けなければとの思いで、背中を押され、耐え抜いた。

 それから4年の月日が経った2015年、家族の大黒柱が亡くなった。
悲しみに打ちひしがれていた時、なんとかこの危機を乗り越えていかなければとの思いから、またふとeastern youthが聴きたくなったのだ。
そこで、「男子畢生危機一髪」が収録されているアルバム『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』をレンタルショップで借りた。「男子畢生危機一髪」ももちろん聴いたが、さらにアルバムの曲で印象的だったのは、「青すぎる空」という楽曲。

【あの人が
あの雲の彼方で
呼んでいる様な
そんな気がして
足を止めるよ】

【あの人が
あのビルの彼方で
待っている様な
そんな気がして
足を止めるよ】

【いずれ暮らしの果てに散る】

 家族を亡くした私にとって、突き刺さる歌詞であった。とても口ずさみやすく、切ないのに、なぜか開放感のある曲調だ。家族と共に過ごした日々を思い返し、外に出ては、「あの向こうに大切な人がいるんだ」と、そう想いながら夕陽が沈む空を眺めていた。
 また、【いずれ暮らしの果てに散る】という最後の歌詞は、当たり前ではあるが、いつかは誰もが死ぬ運命の中で生きていることを示唆しているようにも聞こえる。しかし、〝あなたもいずれ死ぬ。ならばそれまでに何ができるのか?″と、死に向かうことをただ悲観するのではなく、生きることへの肯定感や問い掛けも感じた。


 その後も、iTunesで曲を調べて、「夜明けの歌」、「ナニクソ節」、「矯正視力〇・六」、「街の底」などを聴いた。

 まずは、狂ったチューニングから放たれるイントロのギターが心地よい「夜明けの歌」(『感受性応答セヨ』に収録)。

【逃げても逃げても逃げても
朝が来る
涙よ止まれよ今直ぐ
もう朝だから】

仕事や私生活で、逃げたくて仕方ないけれど、それでもどうしても前向かなくてはいけない時、この曲に助けられた。


次に、「ナニクソ節」(『ボトムオブザワールド』に収録)。

【1、2、3、4、ナニクソチクショウ
5、6、7、8、負ケテタマルカ】
から始まる曲だ。

会社で、違う部署に異動になった際、周りの環境に馴染めず、会社を辞めようと思った時に特に聴いた曲だ。

【涙が出そうだ だけど泣きたくねえ
ぶっ倒れそうだ だけど負けたくねえ】

まさにこの歌詞通りだった。


そして、eastern youthの中でも珍しく、比較的静かで切なく、小谷美紗子のピアノ・コーラスとのコラボで印象的な「矯正視力〇・六」。(『DONQUIJOTE』に収録)

【何回だってやり直す
悲しみなんて川に捨てる
本当は内ポケットに仕舞ったままだ
仕様が無いから連れて歩く
午後の陽が陰って来て
俺は目を挙ぐ
何も見えちゃいないが】

【何回だってやり直す
何回だってやり直すんだ
静かに朝がやって来て
それを迎えて涙をグッと飲み込んでいる
ホームの一番電車にはわざと乗らずに
赤い空を見ていた】

私は、子どものころから不器用で、人のペースに合わせるのが苦手だった。
何をするにしても、みんなの最後。技術や家庭科の授業では作品づくりなど、尚更、憂鬱なであった。コミュニケーションも苦手で、周りが見えていない私にとって、この曲は、何回でもやり直したいと思えるものだった。


 最後に、静かなベースから始まり、ギターの爆発的な疾走感が印象的な「街の底」(『ボトムオブザワールド』に収録)という曲。

【街の底、人間達
彷徨ってる 彷徨ってる 彷徨ってる
街の底  人間達
生きている 生きている 生きている】

【朝 昼 夜 そして朝
絶え間なく響く足音と声
闘いは続いている
闘いは続いてゆく】

 歌詞は、不器用でも、彷徨いながら必死で生きる人たちを歌っているようだった。
 この曲を聴いた瞬間、「そうだ、いろんな状況の中で生きている人たちがいる。とても辛いけど、自分なりに生きていかなくては」と強く思うのだった。


 すっかりeastern youthにハマっていた2017年に、アルバム『SONGentoJIYU』がリリースされた。ベースの村岡ゆかが加入してから出されたアルバムだ。
私は、村岡ゆかという新ベーシストにも興味が沸いたこともあり、初めてeastern youthのアルバムを購入してみた。
 このアルバムは、全体を通して、とにかく〝ひとり、ひとり″を大切にして、個性の尊重を強調しているように思えた。

 たとえば、1曲目の「ソンゲントジユウ」では、アルペジオの単音から始まる切ないギターフレーズと、途中、朗読のようなフレーズが印象的だ。そこからはいつも通りの爆音に繋がっていく。まるで、〝ひとりひとりが生きてるんだ!″と語りかけているようだ。
歌詞は、

【生きていることに遠慮なんてしねぇよ
遠慮なんてしない】

【そうさ
どう転んだって俺は俺
生まれ持った生存の実感は
誰かの手に委ねちゃいけねぇんだ
煮えぎった日が落ちてゆく】

【どっかで声がする
光の加減で顔が見えない人達
伝わってくる気配の振動が
夜を震わせている
震わせてゆく】

 先述の通り、子どもの頃から人のペースに合わせるのが苦手な私は、いじめなど、周りから酷い扱いを受けたこともあった。
それでもこの曲は、〝お前はお前だろう、遠慮なんかするな″と寄り添ってくれた感じがした。


 5曲目に収録された「同調回路」では、他者からの抑圧に対する怒りと反発を歌っている。曲の始めは、歌というよりも、怒りをぶちまけた様な語り口調で進んでいく。

【押し寄せる日々は
俺を押しつぶそうとする
全ての奴等との 闘いの日々だ今日も
顔面に微笑みの 迷彩を施して
眼鏡の内側には 常に抵抗の意思を絶やさない】

【抑圧は雲の切れ間から
抑圧は物陰の向こうから
抑圧は空気の裂け目から
抑圧は人間の口から】

【俺は同調しない】

 最後は、【俺は同調しない】を繰り返して歌っており、〝アイツらのいいようにされてたまるか!″と反骨精神を剥き出しにしている。
思えば私もいじめを受けたり、仕事ができない奴のレッテルを貼られたりもした。
 また、私の友人は、知り合いから「なんでそんな所に勤めているんだ?」とか「もうちょっとマシなヤツと一緒にいれば良かった」などと言われ、上から目線で物事を決めつけられたこともあったそうだ。
 人を勝手に決めつけて、他人の価値観を押し付けられる筋合いはないと感じた。


 ラスト10曲目に収録された「おれたち」では、〝ひとりひとりが遠慮せずに、自分らしく、歩こうぜ″と歌っているようだ。

【誰も彼もがみな
胸の奥底に
暗い影を宿し
傷を隠しながら
青い空の下で
鼻歌を歌っている】

【歩こうぜ いつでも おれたちは
ありのまま そのまま おれたちさ
おれたちさ】

【道は閉ざされたか
明日は来るのか
夜更けの帰り道
滲む月の下で
ひとり笑ってみる
涙を拭いながら】

【迷い道 別れ道もあるけど
ありのまま そのまま おれたちじゃないか
右へ左へ 思うまま
西へ東へ 気の向くままさ】

 なかなか〝自分らしく生きる″というのは難しいように思う。
実際、私もこれまでの人生で、人に意見を言えないことも多く、ただ周りに流されて人の言うことを仕方なく聞いて生きてきたようなものだ。〝自分″とは何者なのか模索する日々。
 この曲は、そんな〝自分″でもいいじゃないかと寄り添ってくれている気がする。自分なりに考えて、人のいないところで、ふっと泣いたり笑ったりして、本当の〝自分″になる。ありのまま、そのままで生きることはそういうことなのだろう。

『SONGentoJIYU』のリリースインタビュー(OTOTOYの記事から引用)で、吉野は、<俺たちというのは、尊厳と自由を携えて、〝個″としてひとりひとり生きている「おれたち」。ありのままでいいじゃない、チビもデブもハゲもいろんなやつがいる。いいじゃねえのそれで、行こうぜ!>と語っていた。
 また、<俺は集団には馴染めないし、酷い目にもあってきたし、生きれば生きるほど〝個″だなって思っている。各々の〝個″が尊重されれば、それがお互いの尊重にも繋がるじゃないか。それが広がっていってひとつの社会になったりするのが1番良いんじゃないか>とも語り、この記事を読んで涙が出てきた。
 多様性を重視する世の中になりつつあるが、ありのままで、個性の尊重を主張する吉野の人生観は、私の人生とも重なる。『SONGentoJIYU』は、eastern youthが現代社会に訴えかける作品でもあるだろう。


 2019年のある日、eastern youthが『ボロフェスタ2019』に出演するとネットで知った。
『ボロフェスタ』は、ほぼボランティア中心で運営されている手作り感のある京都の音楽フェスである。興味が沸いた私は、チケットをなんとか取り、参加してみた。初めて生で観るeastern youthのライブだ。

 ライブで特に印象に残った曲は、やはり「男子畢生危機一髪」、「街の底」。私が好きな曲をやってくれたことがとても嬉しかった。
「30年間やってきて、ギターが一向に上手くならない気持ちがお前らに分かるか?」と、吉野がMCで言う。それを聞いて、「ギターめっちゃうまいやん!」と私は心の中でツッコんだ。ありのままでいて、ユーモアにオーディエンスを盛り上げるMCには、観客はクスッと笑いが起きつつも、それを待ってましたと言わんばかりに、自然とライブに引き込まれていく。
「男子畢生危機一髪」に入る直前では、「安定した音楽の供給じゃねえんだよ、いつだって危機一髪!」とMCで話し、リアルなギターサウンドの爆音とともに演奏し始めた。これがなんといってもカッコよかった。言葉にならないほどだった。

 ライブの最後に演奏されたのが、「街の底」だった。
「また俺たち、街の底で会おうぜ!」と吉野はそう言って、3人のプレイが最骨頂に響き渡るのだった。私は心の中で、「いつだってまた会えるのを楽しみに待ってるよ、街の底で」と願った。
 余韻は、その後1週間程まで続いたのだった。


 2020年、新型コロナウィルスが世界を襲った。たくさんの人々が、先の見えない不安に立たされた。音楽業界も、アーティストはもちろん、ライブハウスが閉鎖したり、フェスが中止になったりと、今まで当たり前にできていたことができなくなった。eastern youthも、その中でもがいていた。

 そんな中、2020年8月、アルバム『2020』がリリースされた。そのニュースを知り、早速購入してみた。聴くと、このアルバムにも村岡のコーラスが入っていて、前作『SONGentoJIYU』よりも全体的に熱量が増しており、さらに進化しているようにも感じた。

 1曲目の「今日も続いてゆく」では、ベースとギターから鳴る静かなイントロから始まり、そこからギターの轟音とドラムが加わり、eastern youthらしいサウンドが炸裂してゆく。

歌詞は、

【青白い鉄塔が今日も光っている
単純な感情で今日も笑っている】

【俺たちの現実は今日も続いている
人間の毎日は今日も続いてゆく
青白い鉄塔が今日も光っている
バス停と信号が今日も突っ立っている】

 この歌詞は、コロナ禍での人々の日常ともとれるが、eastern youthが必死に生きて毎日を駆け抜けてきた姿もそこにあるように思う。明日に希望があるとかないとかでなく、〝現実”をただ見つめている。そこに不思議な魅力があると感じる。


 2曲目の「存在」では、「今日も続いてゆく」で歌われている〝現実″を受け止めつつ、コロナ禍で毎日、人々の存在が蔑ろにされがちになり、命が失われたりする中で、〝ひとりひとりの存在″を改めて歌っているように思える。アルバム『SONGentoJIYU』にも通ずる気がする。

【俺たちは風景じゃねえのだ
俺たちは部品じゃねえのだ
俺たちは現象じゃねえのだ
俺たちは統計じゃねえのだ】

【オギャーと生まれてここまで来たんだ
森羅万象すべてを全部背負ってるんだ】

【取り戻せ やり返せ 存在
 甦れ  ぶっ放せ  存在】

 ギターと共にいきなり始まるこの歌詞は、「考えてみればそうだよな」と、思う。
自分という存在をもっと表に出していかなくては、と考えさせられる。


 3曲目の「カゲロウノマチ」。
この曲も、「今日も続いてゆく」、『SONGentoJIYU』に通じているように思う。
 歌詞は〝現実″を受け止めつつ、そこからどうするんだ?といった問い掛けにいく。そして最終的には、ただ生きているという事実だ。

【おしまいだ なにもかも
 惑星は消滅間近だ
 夏の感傷の眩さに
 まぶたを伏せたまま】


【どうすんだ あてもない
 どうやって ゆくつもりか
 陽炎みたいな人波に
 道を塞がれて】

【空を見上げている
 透き通っている
 風が吹いている
 汗をかきながら
 ただ生きている】

生産性がないとか、そういうことで峻別されるのではなく、
【ただ生きている】だけでよいのではないか。


 4曲目の「雑踏に紛れて消えて」。
これまでのeastern youthの曲の中では、珍しい変拍子の曲調に仕上がっている。〝雑踏″という言葉が、世の中や社会を表現しているように感じる。

【砕け散る瞬間の 欠片を拾う
忙しき街の   騒ぎの中に
紛れ込ませて  紛れて消えて】

【消えかかる残像の燻るまま
砕け散る瞬間の欠片のまま
忙しき街の  騒ぎの中に
紛れ込ませて 紛れて消えて】

 曲に合わせた開放感のある歌い方と、村岡のコーラスの乗せ方、ドラムが一番演奏しにくい気がするが、ギター、ベース、ドラムの全ての楽器がバチっと合わさったアンサンブルがとても心地よかった。


 ラスト10曲目の「あちらこちらイノチガケ」。
曲名からして、まさにコロナ禍を多くの人々が命がけで生きていることを示唆しているようだ。

【泣いて涙に陽はまた昇る
 歩き疲れて陽はまた沈む】

【賭ける命は一度きり
泣くも笑うも一度きり】

【いつそうなったっていいんだ
走ってゆくんだ
二度なき日々のイノチガケ
あちらこちら あなたこなた
明日なき今日のイノチガケ】

 アルバム『2020』の最後にふさわしい楽曲ではないだろうか。コロナ禍で、明日が見えない世界でも、〝今日を、今を必死で生きる″ということをこの曲で、メッセージとして締めくくっているように思える。
2020年の、過酷な状況を生きてきた私たちにとって、『2020』というタイトルは私の胸にも深く刻まれたのだった。


 さて、最初の問いかけに戻るが、きっと皆さんは、〝今″を必死に生きていると、私は思う。それは、コロナ禍の時代だけではなく、これまでにも思い通りに上手くいかないことや、大切な誰かとの別れなど、人生において「もうダメだ」と吐き捨てたくなる時もあったことだろう。
 私は、書いてきた通り、eastern youthの音楽に幾度となく救われてきた。
eastern youthというバンドが〝今″を必死に生きているように、時代の変化はあれど、これからの私の人生も、eastern youthに背中を押されながら、少なくとも〝今″を自分らしく必死に生きていきたい。




※「 」は、曲名や話し言葉、思い
『 』は、アルバム名やフェス名
【 】は、歌詞から引用
< >は、OTOTOYの記事から引用
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