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ロックとは、「エモさ」とは、自分にとっての音楽とは

アルマが死んだ2ndアルバム『生活』

 先日、とある場所でこんな話になった。

「我々は<エモい>とか<クソデカ感情><巨大感情>という言葉を使う前に、どんな語彙でこの心情を表していたんだろうね?」

 TLに流れてきたこの疑問は、ずっと私の中にも燻っていた感情だった。
 僭越ながら言葉を操ることを主として生きていく上で、新しい言葉や逆に昔から使われ続けてきた言葉にはかなり敏感な方だと思う。それを実際の文章に取り入れるかどうか、は置いておいて。

 エモーショナル、という単語自体は00年代から音楽のシーンで使われていた。が、だいぶそれは限定的な使われ方だったように思う。
 例えば邦楽ロック。いわゆるロキノン系。もしくは、インディーズの情感たっぷりにキャッチーなメロとたいしてうまくもない演奏を合わせて演奏するバンドに、「他に形容の仕方がないから」と与えられる表現。便利にその言葉は使われていき、どんどん<エモい>が表現に滲出し、やがて「心が動けばそれは<エモい>なのだ」という、共通認識になった。

 アルマが死んだの2ndアルバムを聴いた。
 このバンドはKOHEI SATOという人物のひとりバンドであり、彼が長年の音楽生活の中で「最後のバンド」と決めているバンドでもある。
 『生活』には1stアルバムと同様に、歌詞カードを兼ねた冊子が付属している。違うのは、届けたい言葉の種類だった。
 1stアルバム『ユースフルデイズ』では、一曲一曲を補足するかのように楽曲に合わせた小説が収録されていた。しかし、『生活』はまるで日記のような、KOHEI SATOがこのアルバムを作成するに当たって感じた事がかなりストレートに書かれている。

 どうしても女性ボーカリストと一緒に歌いたかったという「ある朝にfeat.MIHO NISHIKAWA」から始まり、リードトラックであり歌詞を全て書き直したという「生活」、音楽を続けるという誓いと祈りのような「東京」、まるでくたびれた使い捨てのような日々を送っていながらも、<光>を見つければそれは自由で素敵な日々になるはずなんだという「光」、音楽とは幸せな時ではなく、つらい時にこそ寄り添うものだと歌う「ラブソングじゃない」、10年近くの年月を経て蘇った「ケセランパサラン」、ロックが好きでたまらないひとりの男の叫びである「憧れてくれ」。そのままストレートなタイトルである「ロックンロール」、「ライク ア ローリング ストーン」でアルバムは終わる。

 1曲目があるということはラストナンバーがあり、始まりがあるということは終わりがある。
 そこに叙情的な何かを感じる人間もいれば、それを当然と受け取る人間もいる。ライブのセットリストやアルバムの収録曲順というものは、そのバンドの姿勢というものが垣間見える瞬間だと思う。

 『ユースフルデイズ』について書いた時に、私は「『SUPER NEW』があったからこそこのアルバムの曲順が成り立った(要約)」ということを話した。
 それに比べれば、『生活』の曲順はそこまでストーリー仕立てにはなっていないように感じられる。
 だが、KOHEI SATOの書いた「魂の記録」ともいうべき、「日記」部分を読んで気づいた。

 ああ、そうか。私たちの物語は「生活」からできているのだ。

 日々を消化していく中で、ものすごい事件やとんでもなく派手な出来事はなかなか起きない。王子様から求婚されることもなければ、殺人事件の容疑者になることもそうそうない。
 それは私たちが自分たちの生活を送っているからで、その中で起きるであろう「限界」や「期待」というものの基準値をすでに獲得しているからだ。

 KOHEI SATOの作ったこのアルバムは、KOHEI SATOの半径5メートル圏内の「生活」を軸に描かれている。それは体の外側のことだったり、心の内側のことだったりする。
 たまたま彼の生活にロックがあったから。
 だからこういうアルバムになったのだ。

 音楽が、彼の生活にいつも寄り添っていたから。

 誰の生活にも、思い入れのある<何か>は存在する。
 それは一冊の本かも知れないし、一編の言葉かも知れないし、一瞬の光景かも知れないし、誰かの笑顔かも知れない。
 私たちの<何か>が、たまたま音楽だった。それだけだ。
 そしてKOHEI SATOの<何か>も音楽だった。たったそれだけのことなのだ。

 だが、その漢字にするとたった二文字の共通事項だけが、私たちとアルマが死んだをつなげる。
 「ロックが好きだ」「ロックに騙されても、どうしてもやめられない」「負け続けても、逃げ続けても、それでも逃れられないのがこの感情だ」と、無理やりに直視させる。

 大人になれば、自分のやりたいことだけでは生きていけない。「生活」を支えることに誰もが一生懸命で、情熱を捧げた何かからまるで目を背けるように、仕事や子育てや、その他多くの煩わしいことに向かって日々を繰り返していく。

 そんな日常のほんの一瞬。
 『生活』を聴くことによって、私たちは自分の「人生」を振り返る。
 果たして今まで自分がしてきた選択は正しかったのか。「人生」とは選択の連続で、「1日」という「生活」の点が、線になったときにそれは「人生」と呼ばれる。

 <エモい>という言葉がある。
 もはや<カワイイ>や<ヤバイ>などと同じように、二言目には出てくる、感情に対する形容詞だ。
 私はあえて『生活』に<エモい>という形容詞を与えたいと思う。KOHEI SATOの生き様に<エモい>と言いたいと思う。

 なぜなら、彼の歌や表現は、切り捨ててきたものに向き合わせる力があるからだ。魂に直接触れるような一瞬が、このアルバムにあるからだ。

 コンマ1秒でも心が震えたなら、どんな言葉でその揺らぎを表現したっていいじゃないか。矮小化されても、安易化されても、その瞬間は嘘じゃないんだから。
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