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生きていくための音楽 ローラ・マーリング

ぼくらは今死ぬ時ではない

現在2021年のフォーク系シンガーソングライターのなかでも注目されるべきアーティスト、ローラ・マーリング(LAURA MARLING)。彼女が登場したのが、今からもう10年以上前の事だったと知って自分自身の時代感覚の無さに絶望した。

ローラ・マーリングの存在を知ったのは、恥ずかしい事に去年の夏だった。rockin'onのホームページを見ていて山崎洋一郎さんの「総編集長日記」にローラ・マーリングの記事が出ていた。もちろん興味は持ったのだけれど今まで通り自分は新しい音楽にそう簡単には飛びつくことはしない。写真に映っていたローラ・マーリングの姿を見て、何か見てはいけないものを見た気がした。初めは彼女が信じられない身体の柔らかさで自身を半分に折り畳んでいるのかと思っていたが、実際によく見てみると彼女が誰か男の人の上に寝そべってこちらを見ている姿なのだと判って、余計に見てはいけない気がした。この写真がジャケットに使われているアルバム「SONG FOR OUR DAUGHTER」は2020年に発表されたローラ・マーリングの7枚目の作品だという。

去年の冬、2020年の終わりにrockin'on2021年1月号を手にして読んだ。僕は、rockin'onの雑誌を通読する熱心な読者ではなかったのだけれど、2020年の年間ベストアルバムの特集を見て、何かの気持ちが弾けたようだ。このウイルスによる世界的な混乱期、低迷期に、それでも発表された音楽作品は、今この刻、時代を映すだけでなく正に何を表現するかに於いてそれぞれが自身に対して真価を問うているものかもしれない。聴き手である自分は何気なく日々を過ごしていってよいのだろうか。自分自身にもまた別の方法であるにせよ、生きることの深意を確かめる刻ではないのかと思った。作品に込められた「強さ」を読み取り、パフォーマンスに息づいた「生命」を感じ取る。受けたものをぼくらはどう活かすか。今を生きたいと思った。

2020年、rockin'onの年間ベストアルバム選のなかで、始めに気になったアーティストは以前から知っていたハイム(HAIM)だ。そして次に興味を持った知らない歌手はフィービー・ブリジャーズ(PHOEBE BRIDGERS)だった。知らなければYouTubeで確認してみる。今はそういう時代。25年昔のように知らないものを分からないまま、きっかけも失くして消していくような事はもうないだろう。いま気になれば今すぐ知ることもできる。

ハイムの曲"Los Angeles"を聴いた。なんでこんなに軽やかなんだろうと思っているうちに涙が出ていた。繰り返して判った2分20秒に入ってくる、凛とし確信をもったハーモニーが重なり合ってゆくところ思わず視線も時間も停まってしまう。2020年の雲行きを想えば、彼女らがこういう風に表現したことそれだけでうれしかった。歌が及ぼす動力。声の持つ波線。切なさは確かなビートに刻まれて、切なる言葉の核心に迫る。美しいコーラスが繰り返す言葉は三度。
"it's in my life, it's in my tears""wavin' back to my fears, city of mine"
音の響きに込められている愛に気づけば。刹那を揺さぶる声の優しさに感ずれば。ほんわかと被るサクソフォンのユーモアが尚も尊い。道を指し示すベースライン、そこにスカのリズムが交じり合えば魔法の渦だ。音楽のよろこびが命を取り戻した。心の静かな一本の糸をすっと伸ばしていくような。

知らなかったフィービー・ブリジャーズ。もう3年も前にもなる"Motion Sickness"を発見して聴いて震えた。時間と言葉のなかクリスティン・マクヴィーが微笑み返している、この美しい夢幻。気が付けば何度も繰り返していた。またフィービー・ブリジャーズが唄うBoygeniusの曲、"Me & My Dog"を聴いて理由もわからず涙が出てくる。唄は胸で感じるのだと強く思った。
そうして次は2020年の彼女自身のアルバム「PUNISHER」から"Kyoto"を聴く。とかく比較されがちな音楽の世界地図を、気負いなく突き抜けたフィービー・ブリジャーズの言葉の力は、翻って音楽の旅を想像させる。"Kyoto"のなかでフィービー・ブリジャーズは「I'm gonna kill you」と云い、「I don't forgive you」と力を込めるが、そのそれぞれの後に、場面を切り換えるようにこう唄う。「I wanted to see the world」この歌の一番良いところ、どのようなアレンジで唄おうと響くのはここだ。どんなに負の感情を抱こうとも、その色を塗り替えるのはこの言葉だ。「世界を見てみたかった」と。込められている希望に気付いたら、たとえ些細なワンフレーズも生きる光になるだろう。


音楽の遺志を受け継ぐ人たち。そして音楽で色を塗り替える人たち。時代に斬り込むポップスターでもなく次世代背負うロックでもなく反抗期パンクアティチュードでもない、記名のインディーロックや名目のオルタナティヴでもない、温故知新のレトロポップ、勃興のクラシックソウル、浮かんでは消える形容詞の音楽ジャンルから自由に思える飛翔感。音楽の力を信じる人たちの真摯な佇まい。どれもが力むことなく、しなやかだ。これまでに受けてきた時代の音楽とは何かが違うと感じてしまった。聴き手が、いつの時代も良質な歌心を求めているように同じく音楽の語り部もその美しさ、その心を決して忘れてはいないと分かれば、信ずるべきものを尚信じてもよいのだと思う。

最初にことばがあった。始まりに音があった。そしてそれを詩として曲としてどう表現するかという「ソングライティング」が今、見直されている時代。とうの前からその潮流はあったのだと思う。そしてコロナ禍の影響でライブ活動を制限されたゆえに、各々がじっくりと取り組んだ「ソングライティング」。音楽がテクノロジーによって可能性を拡げすぎてしまった現代に、なんでも出来てしまうからこそ、あらためて地道な「ソングライティング」が今まさに重要だ。ぼくらは今、ここにある「心」を大切にしよう。

美しい音楽との出会い。その経緯がないなら新しい音楽を続いて巡ることもなかった。HAIMを聴いてPHOEBE BRIDGERSを聴いて行き着いたLAURA MARLING、ローラ・マーリング。たとえ遅すぎた出会いであったとしてもこれは好運の兆しといえるかもしれない。


仕事終わりの帰り道、イヤフォンをつけYouTubeを検索してLAURA MARLINGを何気なく流して歩きながら耳だけで聞いた。決して映像は見なかったし彼女がどういうひとなのかは朧気な想像でしかない。
アルバム最初の1曲"Alexandra"が聞こえてくると、その音楽が一変して冬の景色を吹き抜けていった。歩いていた足は止まった。イヤフォンをしっかりと耳に押し込み続きを聴く。

彼女のアーティストとしてのイメージはそう伝えられているように「ジョニ・ミッチェルの再来」なのだと、その情報を踏まえて聴いても、僕にはそう思えなかった。ローラ・マーリングの語り口は或いはスザンヌ・ヴェガと似ている気がした。そして何処で聞いたことがある音楽、と想わせるほど完成された古典の世界観。それが何なのかと、いくら思い出そうとしても叶わないまま音楽は時間を流れてゆく。

冬の薄曇りを経てたどり着いた駅。改札を入り階段を上ってホームで電車を待つ。"生きること"を思った。
"Strange Girl"が聞こえたとき、もうすでにローラ・マーリングに完全に魅了されていたのかもしれない。電車がホームに入って来て、"生きていく"と思った。
電車から出る人たち、入る自分。ドアの近くに立ち、閉まった窓ガラスから流れる景色を眺める。次の駅に着くと、ドアが開く。人が動く。僕には音楽の風景が見えた気がした。涙が目のなかを潤んで、まばたきをする。ローラ・マーリング、彼女の名前を忘れまい。彼女の生きた声、大胆な語り口、音作りの繊細さ、静けさに宿る祈り、命のある音楽の波、これまでに聞いてきた音楽の、行き場のない迷い道の出口を彼女は教えてくれた。自分はこの2021年を確かに生きているのだと思った。生きることを感じていた。


去年から今年にかけてのこのコロナ禍。自ら命を絶つ人が増えたと聞く。どんな苦しいことがあったのか個別の事情について想像も及ばない。つらい事が人生にあるのはわかる。その何分の1でさえ知らない自分が何を云えるかは分からない。だけれども、命は、あなたの人生は、今終わる時ではないと、言わせてほしい。

生きているすべての人が音楽に興味を持っているとはいえないが、ぼくらが今気づいておくことは、まさにいま消えかかっている希望が、それでも強い命を持っていることだ。
ローラ・マーリングはこのアルバムで"Only The Strong Survive"という歌を唄う。言葉の意味は「強さだけが生き残る」だろうか。あるいは皮肉な物言いとして表現上で使われている"弱肉強食"なんていうのとは全然意味が違うことは当然解る。まずは彼女の唄を聴いてみよう。
始まりは静かに、穏やかだが秘めた力は逞しいと想わせる声と声。深淵に沈む言葉を光の指し示す木々へと。風に運ぶ歌はゆっくりと景色を動かしてゆく。「Only the strong survive」と繰り返していく声には、ただその言葉以上のものが伝わってくるだろう。強さだけが生き残る。徐々に力がこもっていくように聞こえる「Only the strong survive」
言うなれば彼女は、あなたのそのまま今、確かに在る「強さ」を信じている。あなたが弱いのだとしても大丈夫、と寄り添い励ます以上に、あなたは強いのだと信じてくれる。それは聴き手による解釈だが、あるいは彼女自身が、強さだけが生き残るのだと我に言い聞かせるように唄う、その声の響きはどんな励ましよりもあたたかく伝わる。「Only the strong survive」これは僕が感じた解釈だけれども、英語詞を理解出来ているとはいえないのでお許しください。

ローラ・マーリング「ソング・フォー・アワ・ドーター」というアルバムは日本でもCDで発売されているが、そこには解説も歌詞の対訳も付いていないようだ。彼女はイギリス、エヴァーズリー出身のアーティスト。今までに数々の賞にノミネートされてきた事が伝えられているが、いまだに大衆的な人気と認知はされていないのか。日本ではまだまだ情報が少ない。「SONG FOR OUR DAUGHTER」の作品は、アメリカの作家マヤ・アンジェロウの2009年のエッセイ詩集「Letter To My Daughter」から着想を得て、架空の娘への書簡というテーマで作られたという。詳しい事は分からないが、これからrockin'on社が彼女のインタビューを行っていくことを願っている。2020年の年間ベストアルバムに「SONG FOR OUR DAUGHTER」が選ばれていなかったことも気になるけれど、いずれはきっちりと特集されるのだと期待している。

LAURA MARLINGが今までどういう活躍をしてきたのかを確かめるように、YouTubeを巡った。映像で観る彼女の唄う姿は、ポップアーティストではなく、実直なフォークミュージックの音楽家と映る。そしてまっすぐに放たれる声と言葉。巧みなギターさばき。何度と聴いていくうちに気付いた。彼女の表現するものには迷いがない。感情を込めるということではない唄の抑揚。発するべき声、選ばれた言葉、彼女にはそれをどう表現するのかが分かっているのだと。

たとえば、"Don't Ask Me Why"という曲、続けて唄われる"Salinas"の映像がある。彼女はストリートペインティングにまみれた壁の映る、ある空間で椅子に座ってギターを弾き唄う。風が吹き、美しいブロンドの髪を揺らすが、奏でられる音楽には揺らぎない芯があるのだろう。音楽は決して感情に左右されはしない。風景のなかで時を永遠に変えるように、彼女の言葉遣いと声の響きが空を斬る。ローラ・マーリングは目が離せなくなるほどに美しいひとだ。そしてチャーミングな女性というところも垣間見られる。何より演奏するこの姿に芯のあるアーティスト像を感じずにはいられない。

別の映像を見てみよう。"I Was An Eagle"という曲がある。そのなかでも川辺の林で唄っている映像を観てさらに彼女の強さを感じた。唄のなかで時折、語りと変化する言葉には、声の美しさ、しなやかさとは代わっての何処かで挑戦的にも響く、したたかさがある。この姿を見れば、ローラ・マーリングがポップスターを目指しているのではないとも理解できるだろうか。彼女はこれまでその容姿の美しさを取り沙汰されることによって音楽活動、表現において葛藤したこともあったかもしれないと思った。そうであればこそ、ローラ・マーリングの2020年作品「SONG FOR OUR DAUGHTER」のジャケット写真に映る彼女の、そこに造り出されたイメージが、安易な受け取り方をしてしまう聴き手への挑戦的な態度であるとも思えなくない。ジャケットの見開き内側の写真を見てみよう。彼女は男を抱き寄せて肩越しにこちらをじっと見ているのだ。大胆不敵な構図だと思う。そしてそれでもローラ・マーリングは美しい。音楽はさらに実直に強かった。彼女がどんな人であるかは意味がないほどに。

また別の映像を見てみよう。先ほどの"I Was An Eagle"の曲を含んだライブ映像に、BBCスコティッシュ・シンフォニー・オーケストラと共に演奏したものがある。この大所帯のオーケストラの前に立ち、ローラ・マーリングは真っ直ぐに唄う。ストリングスのオーケストラを纏った音楽というのは、それが特殊な共演であればこそ、ちぐはぐに見え、どちらかが浮いてしまう事もよくある。そしてオーケストラのなかに覆われ埋もれてしまう事だってあるだろう。しかしここでのローラ・マーリングは一切の気負いを感じさせることもなく、決して混ざり合うわけでもなく、決して離れ離れになるというものでもなく、堂々たる歌を紡いでゆく。彼女は怖じ気づいてなどいないのだ。こんなアーティストを僕は観たことがない。目が離せなくなるほどにこの眼からは熱いものが滲んでしまう。

rockin'onのホームページの山崎洋一郎さんの「総編集長日記」に以前、"幻のジョニ・ミッチェル号"という記事があったが、そこにはジョニ・ミッチェルの特性が適切に述べられている。「コードとハーモニーがオルタナで、アンサンブルやサウンドに意識的・冒険的で、感情や感傷に対して客観性があり、鋭利で冷たい緊張感がある」
なるほどローラ・マーリングの特性と当てはまるところがあると思う。それゆえにローラ・マーリングが「ジョニ・ミッチェルの再来」かと納得もする。
しかしそれでも誰かを比べるまでもない「ローラ・マーリング」はもうすでに確立されているといっていい。あとは彼女の美しい足跡をたどって、これからを追っていくのみだと思う。

フォークミュージックが再認識されている昨今、ローラ・マーリングの音楽の存在は現代ポップ音楽界にフォーク伝統の歌心をさらに美しく光らせるものかもしれない。古典の音楽と通じても、決して音使いが古めかしいわけではなく、また必ずしも新しい世代の感覚ということでもない、その普遍を貫く姿は清々しく若々しい。
ローラ・マーリングの音楽があらわしている瑞々しい時代の力。過去から現在と未来をつなぐ表現。地域を跳び距離を越え文化をつなげる感覚。現代ならではのミクスチャーは、かつてフォークミュージックが全盛の時代にあった研ぎ澄まされた感触を逞しく現出する。
アメリカの新世代の音楽家がジョニ・ミッチェルやエリオット・スミスからの影響を表出し始めた現在において、彼女はそれとは別のところで孤高の存在になりうるかもしれない。

2020年の作品「SONG FOR OUR DAUGHTER」にある音の質感は、アメリカのフォーク系シンガーソングライター伝統の系譜だと思うが、それでも彼女がつま弾くギターの音色やメロディーの行き方は、やはり英国的だといえるだろうか。ローラ・マーリングの数年前(10年近く前)のインタビューを聞いていたとき、ニール・ヤングとジョニ・ミッチェルの名に加えて、イギリスのギタリスト、ジョン・レンボーンとジョン・マーティンの名前が出てきたこともあったから、その影響は今も強いのかもしれない。

彼女がギターで唄う姿を観るのは映像であるにせよ素晴らしい体験だ。個人的なことを言えば、それはロイ・ハーパー(ROY HARPER)がギターを弾き唄う"North Country"を初めて聞いた時と似ている。原曲はトラディショナルか、ボブ・ディランの曲としても知られる名曲"Girl From The North Country(北国の少女)"。名だたる歌い手がこの曲をカバーしたが、ロイ・ハーパーほど美しく表現した人はいない。世界を美化してよいのなら、ここには静かな一本の糸が伸びて繋がったと言い表そう。そしてローラ・マーリングはロイ・ハーパーの再来だといっても言いすぎではないと思う。
かつての音楽を憧憬し表現するときの、懐古、愛好、模倣、試作、改変、常套に収まりがちな世界においてローラ・マーリングは、間違いなく久々に現れた真摯なる表現者だ。

ともし火に揺れる影のなかで決して弱々しくならない言葉の力。過剰に表されることのない声の強さ。生きていく為のしなやかさだと言い換えてもいい、柔らかな波長。この音楽は心に静かなものを残してくれる。

ぼくらが生きていくなかで大切にしたいものは何か。それは必ずしも大きなものではないはずだ。日常に溶け込むような音響で表現されたローラ・マーリングの唄は、消え入りそうな今この闇に、そっと影絵を差し出して優しい劇を見せてくれるかのように。耳を澄ませば、彼女は手を伸ばしてくれる。
魂を揺らめく声にあなたは何を聞き取るか。
命を削った音楽にあなたは何を応えるのか。
美しい世界にそぐわないのはあなたではない。
どうか生きていてください。ぼくらは今、死ぬ時ではない。
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