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「水たまり」から見える世界

BUMP OF CHICKEN『なないろ』に寄せて

BUMP OF CHICKEN の『なないろ』を聴いて、気になったのは「水たまり」のことだった。

<昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様を
 昨夜出来た水たまりが 映して キラキラ キラキラ>

2021年5月17日の朝に放送が始まった、主人公が気象予報士を目指すというストーリーのNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』の主題歌であるこの曲は、「闇雲」という「雲」が入った言葉で始まり、その後も「空」や「虹」といった気象に関する言葉が次々に登場する。

この曲の冒頭で描かれている場面は、どうやら夜に降った雨が止んだ後の、雨上がりの晴れた朝の時間のことのようだ。
ちょうど朝のドラマが放送されているくらいのその時間に、外へ出て上を見てみれば、そこには青い空が広がり、東からは太陽の眩しい光を感じるだろう。時には虹も見えるかもしれない。
対して、下を見たときに気づくのが「水たまり」だ。

視線を上に向けたときに見える虹や晴れ渡る空は、ニュースに取り上げられることもある。映像や画像として綺麗だし、見た人を清々しい気分にさせる。「関東の一部では虹が見られました」などと、気象予報士やニュースキャスターが話しているのを、確かに聞いたことがある。
それにひきかえ、下にある「水たまり」はニュースになんかならない。それどころか、急ぎ足の通行人にとっては邪魔な存在で、今にも舌打ちしそうな表情で一瞥されることだってあるだろう。

だが、この曲の中で BUMP OF CHICKEN は確実に視線を下に落とし、「水たまり」を見ている。
<お日様を/昨夜出来た水たまりが 映して>と、「お日様」を見ているのではなく、「お日様」を映している「水たまり」を見ているのだ。
そこには、雨上がりの朝に通勤や通学をする人たちが、下を向いて歩いているときに必ず遭遇する風景を描写している、という面ももちろんあるだろう。
しかし、それ以上に、この「水たまり」には様々なものが反映されているように思えた。

なぜなら、ここで BUMP OF CHICKEN は、太陽をあえてありがたく尊い存在のように「お日様」と呼び、その光を反射させる媒体として「水たまり」を描いているからだ。

その「水たまり」の姿は、華やかな存在の陰にいる多くの人を想像させる。
この一年、どれだけの華やかではない業種の人たちが仕事を失ったり、逆に激務に耐えたりしたのだろう。ニュースにも取り上げられない、メディアも取材になんて来ない、困窮しても救いの手を差し伸べられることもない、声を届けることもできない、それでも地面に這いつくばって生きている、そういう人たちがたくさんいるはずだ。

そのようなことを考えると、<昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様>というのは随分と無神経な存在のようにも思えるし、そんな「お日様」の光を下にある「水たまり」が媒介となって反射させているのだとすれば、<キラキラ キラキラ>というフレーズには、美しさだけでなくグロテスクな感触も含まれているような気がしてくる。

なにかひとつアクションを起こせば何十万人がそれに反応し、ライブを開催するとなればドームを満員にし、ついには朝ドラの主題歌を務めるところまで来た BUMP OF CHICKEN は、今や日本で指折りの有名バンドで、そのパブリックイメージは「水たまり」とは対極の、雲の上のような存在、「お日様」側の存在だろう。

そんな BUMP OF CHICKEN が、いま「お日様」ではなく「水たまり」を主体に歌う。それは上記のパブリックイメージからすれば、違和感を感じさせるものになりかねない。
しかし、不思議なことに、この曲を聴いていて、「弱者の側に立つ」とか「弱者に寄り添う」というような、強者としての振る舞いを感じることは一切ない。むしろ、水たまりの汚れた水面には、 BUMP OF CHICKEN 自身の生き様が微かに滲んで見えるような気さえする。バンド名の「弱者の反撃」「臆病者の一撃」というところから始まり、何もないところからあの数々のメロディーを生み出してきた、その過程で経験してきたこと。そこで味わった地面に這いつくばる感触や泥臭さ。そういった自らの中に今も残っているものを、彼らは「水たまり」の中に見出しているように思えた。

それに、思い返してみれば、BUMP OF CHICKEN はいつだって <僕の旅> を歩いていく動機や歩いていくための気力を自分の中だけに見出し、自分の中から生み出してきた。自分に情熱を灯すためのランプは自分の中にしかないのだと歌った『ランプ』の頃から、ずっとそうだ。
だから『なないろ』でも、 <躓いて転んだ時> に「起こす」のではなく、<起き方を知っている事> を <教える>にとどまる。また、<手探りで今日を歩く今日の僕が> というフレーズで、「手探りで今日を歩く僕が」でも意味は通じるのにわざわざ「今日」という言葉を重ねて歌っているのは、自分の現在地と自分の心の中を何度も確かめるためなのだと思う。確かにここまで歩いてきた自分がいること、その今日の自分の中にあるもの、それをちゃんと確かめようとしているのだと思う。
そんなふうに動機や気力を自分の中に探し、何度も自分に問いかけたり自分に確かめたりしながら進んできた BUMP OF CHICKEN が、<高く遠く広すぎる空> よりも自らの足元にある <水たまり> に様々なものを投影するのは、ごく当然のことなのかもしれない。

また、「お日様」や「虹」のような華やかで映える存在ではなく、「水たまり」の方を主体にするというスタンスは、曲の構成やサウンド面にも表れている。
『なないろ』は、特に派手な展開があるわけでもなく、「気象」がテーマのドラマ主題歌ではあるが「空」や「宇宙」からイメージする壮大さを打ち出すわけでもなく、AメロBメロサビとするすると進行していく。サビでも過剰な盛り上がりを見せたりはせず、ハイハットを細かく刻む音や、細やかな動きを見せるギターの音が、まるで細々と続いていく日々の手仕事のように、昔からそこにあったかのように、歌の後ろで軽やかに鳴っている。そして、特筆すべきは間奏で入ってくる管楽器の音だ。この管楽器も、壮大さを演出するのではなく、まるで虫の声のような、風や水の音のような、ごく自然な音色を奏でている。その音色には、聴く者の心までナチュラルに、軽やかにしてしてくれるような不思議な力を感じる。

そして、こうした日々の細々とした生活や豊かな自然を連想させる演奏を聴いていると、そこにはたくさんの「循環」があることにも気づかされる。春が来て夏が来て秋が来て冬がくること。朝が来て昼が来て夜が来ること。雨が降り水たまりができて、やがて雨が上がり太陽の熱が水を蒸発させ水たまりが消えること。
そういった幾つもの循環の内側に植物も動物も人間もいて、私たちはその循環から、特に生命の循環からは決して逃れられないということに気づかされていく。

このようなことを考えていると、循環の中で私たちにできることというのは、なんと限られているのだろう、と思ってしまう。そして、その限られたわずかにできたことさえも、雨が降れば流されてすぐに消えてしまうのかもしれない。だが、そのほんの小さなものが確かに一瞬はそこにあったのだということを BUMP OF CHICKEN は歌う。

<乾いて消える水たまりが それでも キラキラ キラキラ
 青く揺れる>

広大な空と比べたらちっぽけで、華やかさもなくて、そのうち消えてしまう「水たまり」。
そんな「水たまり」が完全に乾いてしまう前のほんのわずかな時間を切りとったこのフレーズに、私は BUMP OF CHICKEN の「水たまり」に対する慈しみを感じた。ここで歌われる <キラキラ キラキラ> は、冒頭に引用したフレーズの <キラキラ キラキラ> とは感触が違い、慈しみや透きとおるような美しさに満ちているのだ。そしてその慈しみと美しさに包まれるとき、空や太陽は「水たまり」にとって対極にあるだけのものではなく、循環の過程で水が分解して帰っていく場所でもあるということに気づく。最初の <昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様を/昨夜出来た水たまりが 映して キラキラ キラキラ> というフレーズでは、「水たまり」と「空」「お日様」が地面と天、あるいは下と上という対極に位置していたのに対し、この <乾いて消える水たまりが それでも キラキラ キラキラ/青く揺れる> というフレーズでは、「水たまり」「空」「お日様」がひとつの循環に中にある仲間であるかのように感じられるのだ。

循環の中で、あるときは水たまりは空を映し、またあるときは水たまりは空に帰る。水たまりは、空と対極になったり、空と一緒になったりする。そして私たちは、水たまりを見るときそこに空を感じ、空を見るときそこにかつての水たまりを感じる。『なないろ』という曲は、そんなふうに軽やかに、聴く者にとっての天地を反転させてみせる。


このように「水たまり」に思いを馳せながら『なないろ』を聴いてみると、青い空と彩雲の写真のデジタルジャケットは、水たまりに映った空と彩雲のようにも見えてくる。また、タイトルが『虹』ではなく『なないろ』であることも、虹そのものではなく、水たまりが映す虹を示唆しているからではないかという気がしてくる。
それらは、「循環」や「反転」というイメージを表したものであると同時に、地面に這いつくばって生きている人、下を向いて生きている人だけが気づくことができる隠れメッセージみたいだ、と私は思った。

私はこの先、虹を見たときも、晴れ渡る青い空を見たときも、「水たまり」のことを思うだろう。
そして、「水たまり」を思うとき、頭の中には『なないろ』が軽やかに流れ、BUMP OF CHICKEN と視線を共有することができるだろう。
私たちはどんなに遠く離れていても、「水たまり」から見える世界を共有するのだ。



<> は BUMP OF CHICKEN『なないろ』の歌詞より引用


講評
NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』の主題歌としてお茶の間に流れている、BUMP OF CHICKENの新曲“なないろ”にまつわる音楽文です。歌詞の中から、《水たまり》という言葉を抽出し、水たまりとはどんな存在か、という入口から、ずっとBUMP OF CHICKENが歌い続けてきたテーマに結びつけて解析。さらに、サウンドやジャケット、そして私たちの営みにも言及することで、説得力を高めています。多彩な魅力がある楽曲の一言に的を絞り、そこから楽曲について、バンドについて考察した、わかりやすくも深みのある文章です。
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