4729 件掲載中
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

音楽は断じて止まらない

オルタナ・カントリーの雄、ウォールフラワーズ帰還について、コロナ禍に思う

ウォールフラワーズが帰ってきた。ボブ・ディランの息子、ジェイコブ・ディランが帰ってきた。いつの間にかジェイコブのソロ・プロジェクトになっていたウォールフラワーズとして。

50代の彼はますます父親にそっくりな横顔になっていた。

アルバムは「イグジット・ワウンズ」原題「Exit wounds」。

オープナーのアコースティック・ギターとスライド・ギターの音、嗄れ声がティーンエイジ・トワイライトだった頃の自分の感情を猛烈に呼び覚ます。このスネアの音の録り方だよなあ、と。



90年の洋楽ロックはブリット・ポップ一色だった、みたいに今や言われているが、アメリカにはオルタナ・カントリーがあった。本国アメリカではかなりのセールスを上げていたジャンルなのだが、今カタカナで「オルタナ・カントリー」と検索すると「ブリット・ポップ」との検索結果の差に愕然とする。

アンクル・テュペロから分裂したウィルコとサン・ボルト。
ライアン・アダムスの率いたウィスキー・タウン。
カウンティング・クロウズにジェイホークス、フリーホイーラーズ。
オールド97'sやスクウィーレル・ナット・ジッパーズと言ったマイナー・グループまで国内盤CDが発売されていた。幸福な時代だ。

肝心な音は、と言えば要するにアメリカン・ルーツ・ロックである。(ルーツ的なサウンドなら何でもオルタナ・カントリーと呼ばれてしまっていたと言う側面もあるが)

それでもなぜオルタナ・カントリーと呼ばれていたのか。


幼い頃に両親や祖父母と一緒に聴き、歌ったフォークソングやカントリーソングを聴いて育った世代。

彼らは十代になり、大人から与えられた音楽ではなくラジオから流れてくる勢いのある曲、物知り顔の大人が眉をひそめるようなパンク、ニューウェイヴに夢中になる。

日本で言えば親や祖父母と演歌や歌謡曲を聞いたキッズが中高生の反抗期になり、そのような年寄り臭い音楽よりも、自分の荒んで、虚しくて、誰にもわかってもらえない感情を歌ってくれるギター・ロック・バンドを聞くようなものである。


90年代のオルタナ・カントリーミュージシャン達は大抵80年代に多感な10代を過ごしている。

時代はMTV、スタジアム・ロック。そんな時代のブラウン管に映るロック・スターではなく、ラジオから流れる、または地元の小さなライヴハウスにやってくる身近なロック・バンド、R.E.M.やロング・ライダースといったバンドがその先駆けと言える、に憧れたであろう。特にハスカー・ドゥとリプレイスメンツは彼らの口からよく聞かれるバンドである。


ギターをとってバンドを始めた彼らは、80年代末から90年代にかけて、グランジ/オルタナティヴとして轟音を響かせ、日々の鬱屈を鳴らした。

そんな中、轟音と鬱屈に行き詰まりを感じ、違う表現方法を模索する連中かいた。彼らは幼い頃聞いたフォークやカントリーソングを聴き直し、その魅力を再発見する。

そして、そのささくれ立ったスピリットをオルタナとはまたオルタナ、別であるフォークやカントリーを演奏する。

それがオルタナ・カントリーだった。



ウォールフラワーズのセカンド・アルバム「ブリンギング・ダウン・ザ・ホース」はそんなオルタナ・カントリーの名盤の1枚とされている。
1曲目「ワン・ヘッドライト」から、激渋な音。続く「6th アヴェニュー・ハートエイク」でスティール・ギターが荒れた夜のストリートを描写する。
フォーク・ロックな「スリー・マリナーズ」。
豪快なアメリカン・ロックの「ザ・ディファレンス」や「ゴッド・ドント・メイク・ロンリー・ガールズ」。
やるせない想いが滲む「インヴィジブル・シティ」。
遺作となったレオ・レブランクのすすり泣くペダル・スティールがとどめを刺す「アイ・ウィッシュ・アイ・フェルト・ナッシング」。

60年代〜70年代のアメリカン・ロックに比べれば音楽的な幅や深みは少ないのは否定できない。
しかし、パンク、ニューウェイヴを経過した者たちの鳴らす鬱屈や憂い、空虚を含んだ音はこの時代ならではの美しさをはらむ。

ウォールフラワーズは本作でグラミーも受賞したが、その後の活動はゆっくりと下降線を辿る。
時代がサウンドにおいても歌詞においても、よりヘヴィなものを求めるようになった事も大きいだろう。


ウォールフラワーズだけでなく、オルタナ・カントリー自体も結局は時代の徒花として忘れられる事となった。



そして今。2021年、ウォールフラワーズの「イグジット・ワウンズ」である。

何ひとつ奇を衒う事のないアメリカン・ロック。
流行りの要素を隠し味的に取り入れようとかそんな下心は一切ない。アメリカン・ロック好き、音楽好きならならきっと顔がにやけてくる作品だが、流行なんて全く見向きもしない無愛想な作品だ。

とどのつまり、ウォールフラワーズに限らず、メジャー・シーンに浮上して来ないだけでアメリカにはいつの時代にも常に、長い時間掛けて受け継がれてきたルーツ・ミュージックを演奏している人がプロ、アマ問わず存在しているのであろう。

そして時代が混沌として、人々が自身のルーツを見失った時に、その音が必要とされるのであろう。かつて、フラワー、ヒッピー・ムーブメントの後にザ・バンドの音が求められたように。

その音楽はまた次世代に受け継がれていく。例えヒット・チャートに上がってこなくても。



フォーマットがレコードであれCDであれ配信であれ。

歌詞が色恋沙汰であれ政治的であれ。

活動姿勢が反体制的であれ音楽的であれ。

「音楽」であるのであれば第一に評価されるべきは精神論でなく、鳴らされる、或いは意図して鳴らされない「音」そのものであるはずだ。


コロナ禍で音楽フェスやライヴは軒並み中止に追い込まれている。

「音楽を止めるな」と、耳に刺さるキャッチフレーズが聞こえてくる。

けれど嬉しい時、悲しい時、感情が湧き上がれば自然と人から歌が、音楽がこぼれ出る。


「自分が音楽を守る。音楽を止めない。」なんて、音楽に対して恐ろしく傲慢だ。

「音楽ビジネス」は死んでも「音楽」は決して止まらないし死なない。

音楽を受け継ぐ者は必ずいる。

音楽に誠実であれ。
音楽に切実であれ。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい